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―――目を覚ませ。
(誰じゃ儂を起こすのは・・・)
―――時機が来た。お前の出番だ。
(誰じゃ・・・・・?)
―――私は・・・・・。




 声はそこで途切れ、ゆっくりと目を開いた。
 久々に開けた目は閉じることを知らず、大きく開いたまま辺りを見回す。静かに風の囁きを耳にしながら、同時に風に紛れる異臭に眉を寄せた。草木が近くにあるのに、いつものような心地よさとは別の不快感も同時に感じる。
 念じてみた。
『空のものよ、何事だこれは』
 いつもなら、そう念じるだけで山の鴉を初めとする鳥たちが自分を取り巻くはずだが、いくら念じてもその様子はない。
 いっこうに変わらぬ事態に舌打ちしながら、重い腰を上げる。覚醒してから、祠に腰をかけたままだったのだ。
 数歩踏みだし、違和感を覚えた。自分の体に目を落とす。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 背中が軽い、視点が低い。だんだん冷静になってきて、いつもなら見える暗闇の先が見えないことに気付く。
 そして、頭の端がぐらぐらと揺れ始めた。息を呑んで地面に膝をつき、酸欠の魚のように口をパクパクと動かした。しかし視界が二重三重とずれはじめ、意識を失い倒れた。




 ちょうどその近くで、生き物の動く音を聞いた頼正(よりまさ)は本日の獲物が捕れるかと、顔を覗かせる。そして目を丸くした。
「え、うわっ。子供?」
 頼正と同じくらいの年格好の子供が、ばたりと草の上に倒れている。羽衣のような薄い布を体に巻き付けた子供が、丸まるように山神の祠の前で気を失っているのだ。
 慌てて抱き寄せ、息を確認する。そして、微かにうめき声を洩らすのを聞くと、頼正は子供を背におぶり、揺らさないように、しかし急いで自分の家へと向かった。


「兄ちゃん! 兄ちゃーん!」
「うるせーぞ。ちゃんと獲物捕ってきたのか?」
「大変だよ! 行き倒れてたんだこの子!」
「るせぇってんだよ落ち着きやがれ!」
 ふすまを遠慮無く叩き付けるように開けた頼正の頭を力一杯小突き、兄の宗方(むなかた)は煙管に火を付ける。
「で?」
 宗方はぷはーと煙管から口を離して輪になった煙を吐きながら、頭を押さえてうずくまる頼正に訊く。
「〜〜〜〜・・・・さっき肉捕りに行ったら、山神の祠の前でこの子が倒れてて、意識無いんだけど、ちょっと寝かせてやっていい?」
 頼正の背に背負われた子供を見た宗方は、露骨に顔を顰めた。
「あぁ? ちっ、食料も捕ってこねぇで何してやがんだ。そういうことは俺に断りをいれてからにしろや」
「だって! 苦しそうに倒れてたし・・・・・」
 この騒ぎでも意識を失ったままぐったりとしている子供。宗方は再び舌打ちしたが親指を立てて自分の後ろ、つまり頼正の進む方を指した。
「しょうがねぇな、空き部屋連れてけ」
「うん、ありがと!」
 急いで廊下を走る頼正を宗方が手伝うはずもなく、後ろから声をかけた。
「頼正! そいつが眼ぇさましたら俺を呼びに来い!」
「わかったー」
 後ろ姿を見送ってから、宗方は面倒くさそうに頭を掻きながら再び自室に入ると後ろ手にふすまを閉める。
 一介の小説家として仕事の続きをするために。






「おう、起きたって?」
「うん・・・・・だけど」
 ふすまを開けて顔を覗かせた宗方は、そう大きくない部屋の中で、困ったように頬を掻く弟と、威嚇するように押入に背を貼り付けてこちらを睨んでいる子供を見つけた。
 子供は歯を剥いて怒鳴った。
「誰だ貴様!」
「誰に口聞いてんだ、あぁ? てめぇこそ名乗れ」
「兄ちゃん・・・この子だって驚いてるんだよ、きっと」
 柄の悪い兄を諫めようと頼正は落ち着かせるが、宗方はそんな頼正を邪険に押しのけると、つかつかと子供の前に近づいた。見下すように(きっと実際見下しているby頼正)、腕を組んで命令するように言う。
「名乗れガキ。俺はそんなに気が長くねぇ」
「ちょっ、まずはこっちが優しく状況説明を」
「ならさっさとやれ!」
 怒鳴る宗方に肩をすくめ、頼正はたどたどしく説明を始めた。君が山の中で倒れていた、ここはその山の中にある僕の家で、僕の名前は頼正。それを頼正の後ろで聞いていた宗方は煙管を手に持ち、マッチで火を付けながら素っ気なく言った。
「で、俺は頼正の兄の宗方だ」
「兄ちゃん、煙管は余所で吸ってよ」
「なんで俺が自分家で遠慮しなくちゃなんねぇんだよ。オラてめぇの名は?」
 後半は子供に向けて問われた。子供はいっそう眉根を寄せたまま噛みつくように言った。
「貴様らになぞ名乗る価値もないわ! いったい儂に何をした!?」
 宗方は、がしっと子供の頭を掴むと力を込めた。
「何様だてめぇ。俺が聞いてんだ、さっさと名乗りやがれ」
 ぎりぎりと音がしそうなくらい力を込めて子供の踵が浮くまで持ち上げる兄の手を押さえて、頼正は慌てて子供に尋ねた。
「わー! ほら君はやく答えて! 兄ちゃん短気なんだから、とりあえず名前っ」
「無礼者! この事態はどういうことだ! 儂の山に、何があったのだ!」
「てめぇの山? ぬかせ、ここは俺の山だ」
 話が咬み合わない。子供もよほど締め付けられているのか汗を掻いて宗方の手を外そうとしている。が、宗方は煙管を銜えてゆるめる様子はない。
 大人げない宗方に、頼正は怒鳴った。
「もう兄ちゃん! 話が出来ないだろ! さっさと手を離す!」
 めったに怒ることのない頼正の姿に、やりすぎたかと舌打ちして宗方は忌々しげに眼を細めて手を離した。子供はがくっと畳の上に膝をつき、その側に慌てて頼正がついた。
「大丈夫? 君」
「〜〜〜状況が理解できん! 儂は外に出るッ」
「その格好でか」
 美味くも無さそうに煙を吐きながら宗方が言った。子供は言われてやっと気付いたのか、自分が短パンのみを身につけている姿を見て目を丸くする。慌てて頼正が弁解した。
「ごめん。君が巻いてた布、ぼろぼろだったからさ。とりあえず僕のズボンを貸したんだけど」
「脱がせたのか?」
「・・・・・兄ちゃんが言うとヤラシイよ」
 ぼそっと言った一言は兄の機嫌を損ね、頼正はヘッドロックをかけられていた。そこでやっと、今まで黙っていた子供がわなわなと震えながら叫んだ。
「なんだこの体は! 翼! 翼もないのか!?」
 服装のことではなかったらしい動揺ぶりに、宗方は眉根を寄せる。腕をゆるめたが、すでに頼正は堕ちて泡を吹いていた。
「何言ってやがるクソガキ」
「幾星霜の年月を生きてきた儂に、人間ごときが何を言うか! おのれ、儂の翼をどうしたのだ!?」
 宗方は黙ったまま足下に崩れている頼正を蹴った。慣れているのかすぐに頼正は意識を取り戻し、蹴り起こした兄を見る。
「・・・・話にならん。医者んトコつれてけ」
「儂を気違い扱いするな! 山に生きる者なら儂を敬わんか! 仮にもこの山に長く棲む天狗だぞ!」
「て、天狗!?」
「そーかそーか、良かったな。さっさと出てけ」
「そうはいかん! 儂に何をしたか吐け!」
 怒鳴った自称天狗を名乗る子供の顔面に、宗方の容赦ない一撃が埋め込まれた。そのまま子供は、意識を失い倒れる。半分白目を剥いて口から霊魂が見え隠れしている。
「・・・おい頼正」
「は、ハイ!」
 本気で堪忍袋が切れかけの兄を前に、頼正は緊張して背筋を正して答えた。その背中は冷や汗が気持ち悪いくらい流れている。
「こいつは任せた。捨てるなり、梺の村に突き出すなり、好きにしろ」
 そう言って宗方は、部屋を出て行った。
「ら、ラジャー!」
 びしっと何故か敬礼する頼正の後ろで、子供は寝言のように悪態をついた。




「・・・・うっ・・・?」
「あ、起きた? ごめんね兄ちゃん乱暴で」
 がばっと身を起こした子供の額からぬるくなった手ぬぐいが落ちる。それに気付いて子供が隣に控えていた頼正に顔を向けると、頼正は手ぬぐいを拾って桶に張った水に浸し、再び絞った。
「もうちょっと冷やした方がいいんじゃないかな」
「お前が、診ててくれたのか?」
「んー兄ちゃんのせいだしね、君が倒れたのもさ。ゴメンねー痛くない?」
 苦笑するように言う頼正に、子供は小さく俯いてぼそぼそと何か言った。
「・・・・・・・お前は、悪くない。あ、謝らなくていい・・・」
 照れて言う姿ににこにこ笑いながら、頼正は子供の額に冷えたタオルを当ててまた寝かせる。子供は大人しく横になりながら、元気に握り拳を作って言った。
「悪いのはあの男だ! おのれ、儂を無下に扱いおって・・・っ」
「ねぇねぇ、天狗クン?」
 頼正が子供に話しかけた。子供は拳をぱたりと布団の上に倒して頼正を見て、続きを促す。
「テング・・・って名前?」
 子供はゆるゆると首を横に振った。
「違う。童、儂はこの山に古くから巣くう天狗だ。今はどういうわけか、人間の姿になっているが・・・」
 色素の薄い、銀色にも見える髪に金色の眼、目の下に朱色の隈があり、人間としては変わった出で立ちだが、天狗と比べると姿は人間の子供である。
 忌々しげに呟く子供。頼正は落ち着いたまま、質問する。
「子供の天狗なの?」
「否、成人した人間ほどの体躯をしておったはずなんじゃが・・・・・時にお前、儂に大して不審を抱いておらぬとはどういうことだ? 昔の人間達は儂を見ると慌てて逃げて行ったぞ」
 やはりこやつも信じておらぬのか、と子供が眉を顰めたが、そう言うわけでもないらしい。頼正はさらっと応えた。
「うん? まぁ悪いやつじゃなさそうだし。でさぁ、君が倒れてたの山神様の祠のすぐ前なんだけど、なんか覚えてないの?」
 とくに気に留めていない様子だったので、子供――天狗――も気にせずその話題から離れる。が、頼正の言葉にあった単語に眉を寄せた。
「山神の祠・・・・?」
「兄ちゃんが言った通り、今はこの山ウチの持ち物なんだけどね。この山の中腹にある小さな祠だよ」
「童!」
 がばっと頼正の服の裾を掴んだ天狗は、真剣な表情で言った。
「儂を、その場に連れて行け」




 山神の祠。
「ここだよ」
 屋敷とも呼べる家から小一時間ほど歩き、山を下りてきた頼正と天狗は山神の祠の前に立つ。
「昔っからあるんだ。ずっと山神の祠って呼ばれてて、僕もよくは知らない」
 頼正が説明する横で、天狗は少しだけ目を細めていた。懐かしみを感じさせるその視線に、頼正はそれ以上の口を噤んだ。
「・・・・・ここに倒れていたのか、儂は」
 じっと祠を見て頼正より半歩前に出て天狗は呟いた。頼正が小さく頷くと天狗は静かに祠を見つめ、しばらくしてから背を向けた。
「え、あの。もういいの?」
「かまわぬ。もうここに用はない」
 そのまま振り向かずに歩き出した天狗の後を頼正も追う。獣道の真ん中、生い茂る木の葉の隙間から見えた青空をまぶしそうに見上げた天狗は、哀しげに呟いた。
「時が経ってしまったのだな・・・」
 その真意を知ることはなかったが、頼正は天狗を見つめ、問いたださなかった。






 一方、宗方は。
 常に真面目とは言い難い仕事ぶりのこの男が、珍しく物を書いていた。苛々と煙管をふかして灰を受け皿に落とす。そのまま筆を置き、部屋の前の縁側に出る。凝った肩を解し、日の当たる縁側であぐらを掻いた。訂正、やはり真面目ではなかった。
 目を瞑って日を浴びていたが、がさっという草むらをわけるような音を聞きそちらに目を向ける。
「・・・・・・」
 目があった。
 庭の中にある塀の側の植え込みから狐が顔と前足を覗かせていたのだ。宗方と狐はしばらく見つめ合う。先に動いたのは宗方だ。
 目を逸らさずに宗方は立ち上がった。そして、すたすたと台所に向かう。宗方が縁側に戻ってきたとき、狐はまだそこにいた。宗方は縁側におかれた草履を履き、縁側に座って台所から取ってきたものを狐に見せる。
 油揚げ。狐に視力があるのか知らないが、それを見せた途端狐の顔が上がり、耳が立った。
 宗方は、黙ったまま油揚げを載せた皿を足下の地面におく。そのまま体を離し、狐の反応を見た。
 野生の狐のはずだが、すんすんと鼻を鳴らしそろそろ近づいてくる。近くに人がいるのに警戒した様子はない。
 自然に生きる毛並みのよい狐が近づき、宗方はそれを観察する。
 黄色と言えなくもない白と金の毛並みで、青く鋭い目をした狐。ふかふかの尻尾を自慢げに揺らして、皿の上の油揚げに食い付いた。
 その途端、宗方は胸元から素早く縄を引きぬき、狐を絡め取る。いきなりのことに狐は慌てて油揚げを落とした。暴れるが、すでに前足と後ろ足を縛られ立つことも出来ない。噛みつこうとした狐の顎を片手で難なく掴み、宗方はぼそっと呟いた。
「狐か・・・久しぶりだな。頼正に捌かせるか」
 本日の夕飯候補となった狐は、宗方によって土間へと連行された。






「天狗クン。ウチに帰ろっか」
「・・・・ならん、儂はすべき事がある」
「うん、でも今からじゃなくてもいいだろ? 今日は早く帰った方がいい。嫌な感じがする」
 真剣な顔で森を見渡す頼正。何も感じない天狗は僅かに首を傾げたが、ばっと後方を振り向いた。天狗より先に頼正はその方面を睨んでいる。
 しばらく見ているとその方面から一陣の風が吹いた。それを天狗が感じた途端、頼正に手首を捕まれ引っぱられた。
「天狗クン! 走って!」
 頼正が走りだしたとき、後方でばさばさと無数の羽ばたく音が聞こえる。天狗が振り向くと多くの鴉がくちばしを突きつけ向かってくる。
「鴉だと!? バカなっ!」
「でも現実に襲われてるからねぇ、天狗クン家まで走れる?」
「無論だ! 儂は天狗だぞっ」
「そうだね、じゃ、ペース上げるよ!」
 ぐんっと走る速度を上げ、頼正は天狗の前を走る。慣れた山道を、石を飛び越え、木の枝をかがみ、しかし速度は落とさず山を駆け上がる。
 驚いたことに頼正より天狗の方が先に息が切れてきた。
(・・・・! 力まで落ちているのか!?)
 山の三つ四つ、簡単に走り抜けていたのは過去の栄光か。
 鴉の鳴き声が天狗の怒りを買う。
「・・・・鴉共がっ! 儂に牙をむけるとは覚悟が出来ているのだろうな!?」
 天狗は足を止め、無数の鴉に手を向ける。神通力で鴉を吹き飛ばそうと考えた。
 だが、それは何も起こさない。
「天狗クン!」
 戻ってきた頼正が天狗を突き飛ばす。倒れた二人の上を勢いよく鴉が通り抜ける。
「童!」
「急いで! ウチの敷地に入れば安全だから!」
 すぐに起きあがり、鴉たちが旋回するうちに再び走り出す。がさがさと草藪を通り、頼正は天狗に向かって叫んだ。
「天狗クン、跳んで!」
 言った途端、頼正も地を蹴った。天狗も迷うことなく後を追う。ばきばきと枝や葉と一緒に二人は岩垣を飛び降りた。
 草の上に着地し、すぐ目の前にあった屋敷の壁を、木の枝に捕まり飛び越える。
 敷地内に入った途端、鴉たちは空高くに上昇した。数枚の黒い羽が降ってくる中、二人は地面に座り込んで荒い息をついた。
「・・・大丈夫か童・・・っ」
「・・・・うん、まぁ・・・・・・っ」
 歯切れの悪い返事に、天狗は顔を上げて頼正を見る。そして目を開いた。
「・・・・どこがだ馬鹿者!」
 藪の中を突き進んできたので、二人とも多少の擦り傷切り傷があるが、頼正には大きな怪我があった。
 左手の前腕部分がぱっくりと裂けおびただしい量の血が流れている。
 痛みに耐えて小さく震えている肩を見て、天狗は怒鳴った。
「儂を突き飛ばしたときか!?」
「・・・・・・場所が悪かったのかなぁ・・・っ、岩で切った・・・。大丈夫、舐めてりゃ治るよ」
「脆い人間が、その程度で治るものか!」
 天狗の怒鳴り声を聞きつけて、宗方がやってきた。
「帰って早々、うるせぇぞ・・・――――! どうした頼正!」
 状況に気付いた宗方は、途中で駆け足になる。駆け寄る宗方に場所を空け、天狗は立ち上がった。
「てて・・・・・切った」
「見たらわかる。ここだけか?」
 頷くのを見て、宗方は頼正を担ぎ上げすばやく歩き出す。
「オラてめぇも来い」
 宗方に言われ、それを見ていた天狗も小走りに後を追った。




「阿呆」
 実の兄の第一声に、頼正は口を曲げた。
「だって・・・・」
「言い訳すんな」
 苛ついたように言う宗方を見て、頼正はばつが悪そうに俯いた。
 その後、テキパキと宗方によって治療されていった頼正。腕の怪我のため頼正が優先されて当然だったのに、とりあえず腕の止血を終えると宗方は天狗のかすり傷の手当を始めた。天狗は暴れて「儂より童を」と言ったが、黙れと一蹴されてそれ以上の抵抗を止めた。
 頼正と同様に手当をされて、天狗はなんだか気まずい思いをした。
 そんな中、怪我の経緯について説明を頼正が終えたときの宗方の第一声が最初の言葉だ。
「お前もっと早く気付いてただろ。なんでその時逃げなかった?」
 そしたら追いかけられなかったのによぉ、と煙管に火を付けながら言う宗方。天狗は驚いて頼正を見る。
「気付いていただと!? 鴉たちの気配をか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん、まぁ」
 鼻に絆創膏を貼った顔で、頼正は苦笑する。そんな弟の頭を宗方は一発殴る。

「言っただろうが、違和を感じたらさっさと戻れって」
「うっ、だって気のせいかな、って・・・」
「第六感を疑うなと教えなかったか?」
「・・・・・・・・ごめんなさい」
 項垂れる頼正の頭を軽く叩いて、宗方は立ち上がる。
「ったく。折角狐捕まえたから捌かせようと思ったのに」
 怪我しやがって、とぶつぶつ言いながら部屋を出て行こうとする宗方を天狗が引き留めた。
「待て。・・・・・・・・貴様らは、一体何者だ?」
 天狗の真剣な質問に、頼正と宗方はいったん顔を見合わせてそれぞれ答えた。
「・・・・・・人?」
「ホモ・サピエンス」
 そう言ってまた出て行こうとする宗方に、天狗は少し声を大きくした。
「訓練したと言っても童の身体能力は尋常ではない。人ではあり得ない」
「人間だってばー」
 頼正が苦笑して言うが、天狗は宗方から視線を外さない。宗方は面倒くさそうに眉間にしわを寄せ、言った。
「人は人だ。だが、憑き物の血が混ざってる」
「・・・・・・憑き物?」
「隠すつもりじゃなかったんだけどねー。僕たちの名字、『犬上』っていうんだ」
「それでわかるだろ」
 煙管の煙が空気に消える。天狗は二人を見て呟いた。
「犬上・・・・・そうか、『犬神』使いの家系か・・・!」
「正―解」
 驚く天狗の顔を見て、宗方はぷかぷかと煙管の煙で輪を作る。口の端を上げ、からかうように見る宗方に、天狗は信じられないとばかりに呟いた。
「儂も見るのは初めてだ。ずいぶん前に途絶えたはずだが・・・・・・・」
「もう蚊が吸うほどもねぇくらい薄い血だろうけどな」
 犬神使いの血が混ざっているから鼻が利き、気配察しに鋭く、身体能力が優れ、食事に肉を求める。
 血は薄いと言うが、この二人は確実に犬神の血を濃く受け継いでいる。
「僕たちは、犬上頼正と、犬上宗方」
 微笑みながら頼正が、無愛想に宗方が、天狗の方を見た。
「君の名前は?」
 頼正に問われても天狗は黙っていたが、しばらくして静かに口を開いた。
「・・・・やちよ」
 思ったより声が出なくて、天狗は少し声を大きくした。
「・・・・・・金剛坊(こんごうぼう)、天靜八千夜(てんせいやちよ)」
 頼正は嬉しそうに反復した。
「・・・八千夜くんかぁ」
「天狗に名前があるのか?」
 自身も犬神という血を持つ宗方は、もともと子供がいう「天狗」という言葉を疑っていなかった。関わるのが面倒だと思っていただけだ。
 宗方の問いに、八千夜は少し微笑んで答えた。
「実際、天狗に名はない。だが儂は名をもらったのだ。まあ他にもいろいろ呼ばれていたが、これが気に入っている」
 思い出したように目元をゆるめて語る八千夜は、自分の手の平を見て呟く。
「・・・・・・大切なものだ」
「八千夜くん、これからどうするの?」
 包帯を巻いた腕をさすり頼正が訊くと、八千夜は口を開いたあと躊躇い、ばつが悪そうに苦い顔をした。
「? すべき事があるって言ってたけど・・・・・」
「・・・・ああ、だが・・・・」
 口ごもる八千夜に気付かない頼正は首を傾げるが、宗方は煙管から口を離して八千夜の言葉の先を取った。部屋から出て行くのを止めたのか壁に背をもたれさせあぐらを掻いている。
「お前、人間になってるだろ」
「え?」
「天狗としても力は、感じられねぇ。ただのガキと一緒だ・・・・・・・・・今のお前は頼正にも劣る」
 的確な判断を下す宗方に、八千夜はもう驚きもせずに肩をすくめた。実際それは先ほどの件で十分に判っている。
「・・・・・・・・その通りだ。だが」
 八千夜は金の眼をさらに光らせ、言った。
「儂にはやらねばならないことがある」
「・・・・・・・・・」
 真剣な八千夜の言葉に、頼正は黙りこんだ。そのまましばらく悩んだ後、部屋の隅で何も言わない宗方のほうを勢いよく振り向いた。
「お願い兄ちゃん! 八千夜くん、家においてもいい!?」
「は!? 何を言っている童」
「べつに良いぞ」
「本当に!?」
「貴様も何を言っている!」
 宗方はどうでもよさそうに、騒いでいる二人の子供に眉根を寄せた。
「うるせぇ騒ぐな。別に居候が一人増えたくらいで大して変わらねぇし、うちには部屋はごまんとある。好きなところ使え」
「あんがと兄ちゃん!」
「ただしちゃんとお前が面倒見ろよ。俺が問題を感じたら追い出すからな」
「だからどうしてそう言う話になっている!? 儂を捨て犬のように言うな!」
 噛みつく八千夜に宗方は。
「迷惑なんだよ、うちの山で暴れられると」
「だから儂が出て行けば問題なかろう!?」
「鴉にさえ嫌われたあげく力まで失っといてよく言うぜ。山で騒ぎを起こすと梺の村のジジイどもがうるせぇんだよ」
 宗方は立ち上がり、部屋を出て行く。
「・・・・・ここは俺の山で、俺の家だ。文句は言わせん」
 ちょっと狐捌いてくる、と宗方は部屋を出て行った。残された八千夜はわなわなと震えて宗方が出て行った障子を見て言う。
「なんと尊大な態度か・・・! あやつはッ」
「あれで優しいときもあるよー。たまにだけど」
 頼正のフォローなど八千夜の耳には入らない。きっと頼正を睨む。
「童も何のつもりだ。儂を此処に置くなど」
「ねぇその童って止めようよ。僕は頼正だよ」
「話を逸らすな!」
 見た目の年齢が同じくらいの頼正と八千夜。絆創膏や包帯だらけの体の二人は、端から見たら大喧嘩をした後のようだ。
「うちにいたら、迷惑? やりにくいことがあって、不都合なら止めないけど」
「迷惑ではないが、何故儂に構う?」
 八千夜はそれがわからない。天狗とは群れを成さない。配下の鴉共はいたが、それでもずっと孤高に生きる生き物だから、頼正の気持ちには微塵も気付かない。
 頼正は笑顔で言った。
「友だちになろうよ」
 八千夜は面食らった顔で頼正を見つめる。頼正は怪我をしていない右腕を差し出した。
「友だちになりたいんだ。そしてできれば、八千夜くんの手助けがしたい」
 八千夜は、差し出された右手を見てから頼正の目を見る。
「・・・・・・・・儂は天狗だ」
「うん、知ってる」
「儂にはすべき事がある」
「それも聞いた」
「お前は、関係ない」
「一緒に鴉に襲われたけどね」
「・・・・・危険な、ことだ」
「僕より身体能力の劣る君のほうが危ないよ」
 だんだん頼正の言葉にトゲを感じ始めた頃、八千夜は頭を抱えて黙り込んだ。頼正はじっと八千夜を見つめる。
「・・・・・・・・・迷惑なら、僕は諦めるよ。邪魔なら・・・・」
「迷惑では、決してない」
 即答で断言して、八千夜は頼正に確認した。
「天狗は配下を持つ者だ。その天狗と友になると言うことは、すなわち盟約をかわすと言うことを意味する。お互いがお互いを助け、命の危機には共に命を懸け、裏切りは死を意味する。配下の者が主を裏切った者を生かしておかない」
「それでも」
 頼正は、微笑んでずいっと手を差し出した。
「八千夜くんと友だちになりたいよ」
「・・・・・ならば」
 八千夜は、ぱしっと出された手を握った。
「儂は貴様を対等のものとして認めよう」
 にっと凶悪に笑って、八千夜は誓った。
「儂はおぬしの助力を請おう、頼正」
「・・・・うん!」
 嬉しそうに笑う頼正は自分も強く八千夜の手を握りかえした。






 宗方は、土間に捕らえておいた狐のもとへ鋭く研いだ包丁を片手に向かっていた。
(狐か・・・・捌いて・・・・煮る、いや焼くか。面倒だし、丸焼き―――・・・)
 ああ、でもそれだと犬歯を持つ宗方と頼正は食べられるが人間の子供になった八千夜は食べるのに困るだろうか。宗方は無表情に淡々と思案しながら、狐を捕らえていた籠の下まで来て、少し目を開いて眉を上げる。
「・・・・・・・・・・あ?」
 宗方の足下で、籠がひっくり返っていた。狐の姿はない。あったのは少しの金色の毛と、焼けこげて灰に近い縄。この縄は狐を縛っていたものだ。
 しゃがんで、そっとそれを手に取った宗方が目線の高さまで持っていくとハラハラと崩れて原型を保たなかった。







「ねぇ聞いても良い? 八千夜くんのすべき事ってなんなの?」
「・・・・・・お前には、話さなければなるまいな」
 八千夜ががしがしと頭を掻いてどこから話そうか、と一人ごちた。そのときふすまが開いて、宗方が入ってきたのかと頼正と八千夜は軽く視線を向ける。
 そして目が離せなかった。
 豊富な金の髪をなびかせ、深い海と空の境界線のような鮮やかな青い瞳の青年が、だらしなく浴衣をまとい立っていたのだ。肌は白く、その顔は人形のように端正である。
 青年は、にやりと口の端を上げ、切れ長の目元を並み立たせた。
「・・・・・・・久しいな、天狗」
 その容貌から想像するに容易い美しい声で、青年は天狗―――八千夜に向かって話しかけた。頼正が慌てたように交互に二人の顔を見るが、八千夜は驚いたまま青年を見つめていた。そして、小さく呟いた。
「・・・・何故、ここにいるのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九尾・・・・」
 その声を聞き、青年はさらに笑みを深くした。