13
宗方がなんとか起きあがれるようになるまで、頼正がフクロウの元に残った日から丸々三日かかった。傷が熱を持ち、普段の不摂生も祟って体調を崩したが、優れた回復力でおおかた回復し安定してくると、眠りから覚めた宗方は部屋を見回して一番に訊ねた。
「・・・・・・・頼正は?」
病み上がりの宗方に、春日は白粥を差し出しながら言った。
「無事だ。だが今ここにはいない。・・・・・食えるなら食え、ちょっとでも」
「・・・・・・いないってどういう事だ?」
「お前は今、傷を治すことを考えろ」
「頼正はどこだ?」
「心配せずともいい」
「どこだと訊いてんだ!」
がしゃんっとお粥の入った土鍋を振り払った宗方は、叫んだ途端走った鈍痛に小さく呻いた。
「ホラ、腹がまだくっついてないんだから。抜糸もまだだし」
やれやれ、と零れたお粥の掃除を始める春日に、懲りずに宗方は訊いた。
「・・・・あれから何日経った・・・?」
「三日だ。でもまだ後五日くらい寝てろ」
春日の答えに満足できずに宗方が言い返そうとすると、襖が開いた。
「・・・起きたのか宗方」
「八千夜・・・・・」
水を張ったたらいを抱えていた八千夜はそれを置き、手ぬぐいを濡らして宗方の額に乗せた。
「村の医者によると、後五日は絶対安静だそうだ」
「そんなことより・・・! 頼正はどうしたんだよ・・・っ!」
放っておけば身体を起こそうとするので、その前に春日が金縛りを張る。唯一動く口で「クソッ」と悪態をついて、宗方は春日を睨んだ。
「なんじゃ、春日。おぬし説明するのではなかったのか」
まだしていないのか、と八千夜が言うので、宗方は再び春日を見た。
説明を求めている宗方に、当の春日は。
「折角作ったのに・・・・・・」
と、お粥の無惨な結果にがっかりしていた。
* * *
「頼正ぁ、それ取ってくれー」
「だから、『それ』とか『あれ』とかじゃわからないですってば!」
いい加減慣れてきたといっても、フクロウの考えはさっぱりわからない頼正だった。
患者二人を連れて、八千夜と春日は帰ったと告げてもフクロウは怒らなかった。「ヘェ、そう」と言ったきり、気にした風もなく日常に戻っていった。
泣き明かした初日に比べ、今頼正はしっかりと梟クリニックの手伝いをしている。フクロウの研究という言葉通り、実験体とか解剖とか、とりあえず最悪の状態まで考えていた頼正は濡れタオルを渡して言ったフクロウの言葉に少しだけ驚いた。
『んじゃ、しばらくは普通に生活してくれ。部屋とかウチに泊まってくれればいいから』
赤い眼で見つめたまま黙り込んだ頼正に、フクロウは首を傾げた。
『なんだよ?』
『・・・・・・・・研究しないでいいんですか?』
『生活見るのも研究だし。それに泣いてる子供をさらに泣かせる趣味はないの』
なんだか隠しておく必要もなかったので、頼正は言い返す。
『・・・・・・・僕これでも二十一歳だよ』
今度はフクロウが目を丸くした。
『・・・・・・・・・・・・・・ワーォ』
その日から、犬上頼正観察日記なるものが出来た。・・・ただの大学ノートに、油性マジックで大きくタイトルが書かれただけの代物だが。
「成長は遅くて超怪力。でもイイ子」
最初の一行はそう書かれているらしい。後は見させて貰えなかった。
「ドクター、『それ』ってどれですか?」
薬品棚の前に立ちながら、頼正は赤色透明な液体の入った試験管を振っているフクロウに訊ねた。
「それだよ〜。今お前さんの右手に当たってるやつの二個左」
指定通り完全密閉された瓶を取ると、頼正はそれを持っていく。
「どうぞ」
「はいどうも」
瓶を開け、薬匙で山盛り白い粉末を掬ったかと思うと、フクロウはそれを少々冷めているコーヒーに入れた。
「あ」
頼正がそう呟いたのにも構わず、そのまま薬匙でコーヒーをかき混ぜると瓶の蓋を閉めてコーヒーを口に運ぶ。
「ただの砂糖だよ。これ元の場所に戻しておいて」
なんで砂糖が劇薬の棚に一緒に並べてあるんですか。とは訊かない。こんなこと日常茶飯事なので、いちいち気にしていられないと気づいたのは昨日だ。再び手渡された瓶を持って棚に置き、頼正はため息をついた。そうは割り切っても、やっぱりよくわからない人だと思う。
フクロウは試験管に蓋をして試験管立てに立てると、立ち上がってコーヒーを持った。
「頼正もちょっとおいで」
手招きされるままに、頼正は小走りで後に付いていった。よくわからない男だけど、八千夜が言うように嫌な男ではなかったし、ここでの生活にも少し慣れてきた。
人が多いこの都会で、頼正は初日に服を貰った。動きやすいように、と『ウルフズマーク』というメーカーの服で上下揃えて着ている。犬(狼だけど)の足跡が付いたロゴがあり、子供向けの服のなかでも柔らかい生地やシンプルなデザインでアウトドア派な方にオススメ、らしい。
フクロウのオススメでもあり、頼正は黒い生地に白い糸の刺繍で足跡が小さくついたパーカーと端に『Wolf’s
Mark』と刺繍の入った半ズボンをはいている。
「どこに行くんですかドクター」
「いーい天気だからねぇ。昼寝しようかな、と」
仕事はどうした。頼正が立ち止まって目で問うと、フクロウは片眉を上げた。
「休みでいいんじゃね? 急患が来たら働けばいいさ」
急患なんて来るはずがない。少なくとも頼正がいる間、宗方と倉木以降フクロウが働いているところは一度も見なかった。それでどうやって生計を立てているのか不思議でならなかったが、訊いてもはぐらかされるだけだ。
呆れた眼で見つめる頼正に、フクロウは笑いかけた。口から煙草を離して煙をふく。
「ウチには招き猫がいるから大丈夫だろ。なぁネロ、商売繁盛――しない方が良いけど、医者だし――まぁ頼むよ」
「みゃぁ」
名を呼ぶと駆けて近づいてきたネロがフクロウの肩に飛び乗った。
(・・・黒猫とか不吉なんじゃないのかな)
頼正がそう信じているわけではないが、黒猫が招くのは不幸のような気がする。
嫌われているのか、ネロが頼正に懐くことは一度も無かった。好物という煮干しを見せても、顔を背けて走り去っていく。フクロウの手からは美味しそうに食べるのに。
といっても、プライドの高いこの黒猫は、素直に甘えたりしないが。今もフクロウの頭の上で王者のように頼正を見下している。
「ところで頼正、お前さん家に帰らなくても良いのか? 怪我してたの兄貴なんだろ。いやまぁ、俺としては研究終わるまでいてくれて良いんだけど」
ネロの喉を撫でてやりながら、適度に整備された庭に寝っ転がって訊いたフクロウ。返事に詰まった頼正は、とりあえず転がるフクロウの隣に座った。
「僕、兄ちゃんに酷いことしちゃったから帰れないんだ」
「あ? よくわっかんねーなぁ。・・・・・・・・・・・・・・・おい、泣くなよ?」
「泣かないよ」
膝を抱えてさわさわと風になびく葉を見ながら、頼正は呟くように言った。
「ドクターには感謝してるよ。家に置いてくれたし」
「いや、ただじゃねぇぞ」
「わかってるよ。何をどう、研究するのか知らないけど」
俯いている頼正の顔を見るように、フクロウは半身を起こした。
「じゃあ血とか細胞とか調べて良い? 出来れば回復力とか治癒力とかも調べたいし、ウイルスだとどうなのか、とか疑問は尽きないんだけど」
「・・・・・・・・・・ドクター今まで遠慮してたの?」
「少しな」
火付きの悪いライターで、フクロウは煙草に火をつける。それを見ていた頼正は息を吐いた。フクロウは、頼正の肩をバシバシ叩いた。
「ま、そう悩むなよ。いまはこんなに良い天気だ。解剖とか、しねぇから安心しろ」
「したいんじゃないの?」
「そりゃお前。追求者としては是非とも調べたいさ。でも今お前をかっ捌きたいとは思わねぇよ」
言葉は素っ気なかったが、気遣っているらしいことはわかる。ぷかぷかと浮かぶ煙草の煙の輪を見て頼正は空を見上げて言った。
「・・・・兄ちゃん、大丈夫かなぁ」
八千夜と春日がついているから、大丈夫だと思うけれど。頼正が最後に見た宗方は致命傷を負っていたから。
元気がない頼正の頭に、フクロウが手を乗せた。
「そう思うなら帰りゃいいのに、難儀な子だねェ」
子供にするように頭を撫でてくるフクロウに、頼正は空を見たまま呟いた。
「・・・・・・僕、二十一歳です」
「あ、そうだった」
そのやりとりは何度目だったか。頼正はそんなやりとりでも心が癒されるのを感じ、腕を枕にして寝っ転がった。
晴れて青天が見える空に、フクロウが作った煙の輪が飛んでいった。
* * *
まだ寝ていろと言われた宗方だったが、突如訪れた客を迎えるために服を着替えて客間の障子を開けた。
開けた途端に一斉に集まった視線に宗方が立ち止まると、八千夜が声をかけた。
「宗方、ここに通して良かったのだろう?」
「ああ。それよりなんだこいつらは」
「相変わらず辛辣だな。貴様の意識が戻ったと派手な若者が知らせにきたので足を運んだというのに」
腹の傷が痛いので周りの人間には知られないようにそっと歩きながら、宗方は「けっ」と吐き捨てた。
用意されていた座布団に座り、宗方の目の前にいた邑上村長をはじめとする村人代表を見渡した。
「で? 俺もお前らの汚ねーツラ見たくないんでさっさと帰れ」
「そうはいかん。犬厄は完全に終わったと聞いたが、その諸悪の犬はどこにいる?」
「・・・・だから頼正は悪くないっつってんだろクソジジイ」
珍しく、邑上の後ろに控えている田村は口を挟まなかった。ただ睨んでくるのは変わらないが、いちいち話の腰を折られるよりはよっぽどマシだと宗方は思う。他にも村人代表として、あまり見覚えのない男達がいる。だが倉木の姿はなかった。
「倉木誠一は無事なのか」
「ああ、驚異の回復力で一命を取り留めた。まだ歩けるほどではないようだが」
「軟弱なこった」
「おぬし、他に言い方は無いのか?」
八千夜がそう呟いたのを綺麗に無視して、宗方は八千夜に訊ねた。
「ところで春日は?」
話を変えられて一瞬詰まった後、八千夜は素直に応えた。
「村へ行ったきり帰ってこんが?」
その知らせで邑上達は訪れたというのに、春日はまだ帰っていない。どこを出歩こうと子供ではないし、それどころか人ですらないので心配する必要もない。
「ならいい。―――で、何しにきたんだ」
いない方が口うるさくなくて良い、と宗方は邑上に問いながら思った。治癒能力に長けた九尾の狐は、宗方が動こうとするたびに金縛りをかけるので煩わしく思っていたところだったのだ。
宗方の問いに、邑上は真正面から応えた。感情を込めずに、淡々としていたが、それは宗方と八千夜を驚かせた。
「・・・礼を言いにきた」
「礼?」
「ああ」
そして、其処にいた村人の全員が――邑上も、驚くことに田村も――、座ったまま、深く頭を下げたのだ。
「・・・・・・私たちは犬上家の過去の行いを許してもいないし、それ以降の扱いに対する謝罪もしない。だが、礼を言おう。この度の犬厄に、死者が出なかったことが貴様らの努力と決意の表れだと認めて」
宗方は、口を薄く開いて目を開いた。何と言っていいのかわからずに、頭を下げる村人達を見ていた。
「心より礼を言おう、犬上宗方」
「―――――・・・」
邑上がゆっくりと頭を上げ、うしろの村人もゆっくり頭を上げた。邑上は、相も変わらず淡々と、無愛想に言った。
「・・・傷を早く癒すんだな」
邑上は、用は済んだとばかりに立ち上がった。言葉を失っていた宗方は急いでそれを引き留める。
「・・・ちょっと待て、俺も話がある」
「なんだ、さっさと言え」
当初漏らしたように、頼正の消息が気になるだろうにそんな様子は微塵も見せない邑上。忘れているわけではないだろう、訊かないことが礼のつもりなのだ。
宗方は、ちょっとだけ――本当にちょっとだけだが――邑上の印象を良くした。
そんな宗方の雰囲気に気付いた八千夜は、静かに笑った。
同時刻。犬上家のある山の頂上を飾る木のてっぺんで、春日は風が厳しいにもかかわらず危ない様子もなく真っ直ぐ立っていた。
髪と服の裾を風になびかせながら、広大な犬上家や、梺の梔村を見る。
(・・・・・・・結界が切れて、妖気が流れ出してるな)
強い犬神の妖気を光石で抑えていたが、光石が消え、犬神が姿を現した今、拡散するように妖気が流れて広がっていた。
もともと春日は、自分の妖気を隠すために犬上家を訪れた。どんどん拡散を続ける犬神の妖気はいずれ薄れ、九尾の狐の妖気が目立ってくるだろう。
(アイツに嗅ぎ付けられると厄介だな・・・・・・)
妖気をどんなに抑えても、微かにもれる妖気をヤツが逃すはずがない。
そしてどれだけ逃げても、諦めないだろう。
「めんどくせぇなぁ・・・・・」
春日は、忌々しげに呟いた。
せっかく今の生活が楽しくなってきたのに。何万年も生きてきたが、思い通りに生きられないことに腹が立つ。
まだ犬上家で一緒に生活したいし、頼正を迎えに行ってこれからもここにいたいのに。
自分の考えに春日はくっと笑った。
(俺も人間じみてきたなぁ)
まさか『欲』をもつとは。何かをしたい、得たいと思うのは人間特有のものだというのに。八千夜のことを言えたものではないな、と春日は苦笑した。
そして、ふと。苦笑による笑顔さえもその顔から消える。
再び溢れていく妖気を見た。
「また、ここにもいられないのか・・・・」
哀しい呟きを、聞く者はいなかった。
所変わって、犬上家では。
宗方の告白に、邑上村長は勿論、八千夜も、その場の全員が驚いた。
「・・・・・・・・・・どういう意味だ?」
「そのままだろ」
宗方は、再び繰り返した。
「この家から出る。で、都会に移り住む」
今度こそ、言葉を失った邑上に代わり田村が口を出した。
「馬鹿な・・・っ、犬上の一族は、次は街で災厄を振りまくつもりか?」
「結界が切れた今、ここにいる必要はない。現に今頼正は街に下りている」
「!!」
「なんだと!?」
ざわついた村人を黙らせ、宗方が続けた。
「まぁ聞けや。この家を売り払おうってんじゃない、出来れば帰ってきたときに生活できるように誰か定期的に手入れしてくれ」
「何のために山を下りるつもりだ? 犬神は山の神だから、自然の中でこそ落ち着いていられると聞き習っているぞ」
「あー確かにちょっときついけど。・・・・・頼正に普通の生活をさせたい。今回のことで本当に参ってるからな、きっと」
十八年前は赤子だったから記憶にないだろうけれど。
「今回は・・・簡単に忘れることも出来ないだろうから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
難しい顔で腕を組んだ邑上。眉間にしわを寄せて訊ねた。
「・・・・・先立つものはあるのか?」
「何言ってるんですか村長!」
「静かにしろ。・・・・移れるだけの金はあるのか?」
「ある。俺、密かに稼いでた」
ぼそぼそ小説書いてました。と、宗方が言うと邑上は呆れたように額に手を付いた。
「・・・悪ガキめ」
「うるせぇよ、オヤジ面すんな」
心配そうに周りが息を呑むのも気に留めず、邑上が言った。
「ならば好きにすればいい。結界がない今、止めることに意味はない」
今度こそ、邑上は立ち上がった。
「・・・それにもともと十八年前、犬上家の長女が訪れたときに解放すべきだったんだよ」
邑上が瞼を閉じれば甦る菫(すみれ)の姿。外に出して、と泣いて叫んだ少女の姿がいつまでも焼き付いている。
「きっと元を質(ただ)せば、犬厄の原因は私たちだったのだろう・・・」
強固な籠が、閉じこめたまま開かなかったから。中の獣が暴れただけのことだ。
「帰るぞ」
そう言って、邑上は部屋を出て行った。後を慌てて続いていった村人達が全員出た後、宗方はその中途半端に開いたままの障子を見つめて呟いた。
「・・・・・・・罪滅ぼしのつもりかよ。馬鹿が」
顔は見えなかったが、言葉ほど冷たい物言いでなかったことを。側にいた八千夜が証言しよう。
帰り道で、田村は前を歩く邑上の背に声をかけた。
「まったく。あなたは優しすぎる」
「・・・・・・・戯れ言を」
田村は、そう言って早足になった邑上の後ろ姿を見て苦笑した。
相変わらず不遜な態度で気にくわない宗方だったが、どことなく足がおぼつかなかったのは話に聞く傷がまだ完全に治ってないからだろう。
不変など無いと、田村は気付いた。いつまでも睨み合って啀(いが)み合った関係は続かない。少なくとも今日、不思議なことに憎くてしょうがなかった犬上家を田村は許しそうになった。時の流れと共に、その罪も流そうとした自分が確かにいた。
村にたどり着いて、慰霊碑を見る。彼らの無念を救うことが出来なくても、田村は慰霊碑に話しかけた。
「・・・・おれも変わるよ」
婚約をしていた。式を挙げるまで指を折って数えた。結局、婚約の式は挙げることが出来ず、催したのは共有の葬式だった。
慰霊碑に書かれた一人の女性に、田村は話しかけた。
「きっとおれは一生独身だと思う。でもずっとここで暮らしていく」
世界でただ一人愛した女性に向けて、田村は久しぶりに――それこそ十八年ぶりに――優しく微笑んだ。
* * *
春日が居ないうちに、と宗方は八千夜が風呂を沸かしに行った隙を狙って、寝てろと言われたにもかかわらず家を抜け出した。腹の傷を抑えながら、そろりそろりと村までの長い階段を下りていく。
向かう場所はただ一つ。
秋でも、花が咲くその場所は。先日八千夜を捜していた場所、―――墓だった。
原型がなかった村人達の墓は、大体が死体はなく慰霊碑で済まされているが、半身が残った霞織は別だった。如月霞織としての墓がある。父の墓も菫の墓もない。だが霞織の墓はあった。
庭に咲いていた花を選んで摘んできた宗方は、森から姿を現し墓の前に向かっていき、目を開いた。
先に墓参りをしている者の影があったからだ。しゃがんで手を合わせて瞼を閉じているその姿は。
「倉木」
声をかけると、倉木は顔を上げた。だが驚いたようなそぶりはなく、また墓を見つめた。宗方も特に気にせずに近づいていく。
「傷は良いのか?」
「・・・お前も似たようなものだろう」
「お前ほど軟弱じゃない」
お互い、多弁な方ではないので短い会話が続く。宗方は霞織の墓の前に花を置いた。その横にはすでに花束が置いてある。
「初めて来たな、墓参り」
話しかけるでもなく、呟くでもなく言った宗方に、倉木は頭に包帯を巻いた顔を向けた。その顔にも大きな絆創膏が貼ってある。宗方は独り言のようなものを続けた。
「どんな顔して来れば良いのか、わからなかったんだよな。謝りゃいいのか、泣けばいいのか。・・・・・・まして俺は、霞織が許嫁だったと知らなかったし」
「許嫁じゃないだろう、生け贄と呼ばれていた」
「・・・・・・・・・」
「親がいないから、未婚の若い娘だったから。霞織は犬上家に差し出されたんだ」
「・・・・・・・・・・・・そうかよ」
「でも」
頭を掻いた宗方に向けて、倉木は言った。
「霞織は笑っていた。『犬上家の人はいい人達だ』と言って、毎日階段を上っていた」
倉木は自分の髪に触れた。独白を続ける。
「・・・・・・・・・・俺はショックで髪の色素が落ちた。でも科学的に言うと、やはり一日で真っ白になることは無いらしい。メラノサイトという細胞が弱り、黒い色素を作らなくなると言うなら次に生えてくる毛だけだ、と町医者が言っていた。一夜で全て白くなることはあり得ないと。・・・そのささやかな怪奇に、俺は霞織が恨んでいるんじゃないかと思っていたよ。だが、俺があの少年を庇ったときに、霞織も同じ気持ちだったというならそう言うわけでもないだろう」
「・・・・科学だけでは説明できないこともある。俺たち犬神憑きや、あやかしが存在するようにな」
倉木は立ち上がった。そして宗方を見ずに村の方へ歩き出す。やはりその足取りは、まだ弱々しかった。
「霞織は後悔していなかったと思う。―――半年ほど行けなくなった時があったのは、婚期が迫っていたからだ」
そこで初めて、宗方は聞き返した。
「・・・・誰の?」
「馬鹿かお前は」
にべもない言い方に眉間にしわを寄せながら、宗方は倉木の言葉を待った。普段なら殴っているが、二人とも怪我が治っていないしそこまで無茶はしない。
半分だけ振り返って、倉木は言った。
「田村さんの婚約と、その後に控えていた霞織自身の婚期に、だ」
「は?」
宗方は、とても間抜けな声を出した。
「まだわからないのか。本来ならあの日の一週間ほど後で、霞織は犬上家に嫁ぐことが内定していた」
言葉の意味を理解できずに、宗方は一瞬黙り込んだ。
「なっ、ちょっ。ちょっと待て! 俺は聞いてないぞ!」
宗方が珍しく慌ててそう叫んでも、倉木は気に留めずに黙々と歩き始めた。
「大体それは不可侵条約に違反してるだろうが。梔村の人間がそんなこと認めるものか!」
「・・・・・・・そうだ。だから生け贄、『犠牲者』だ。霞織の意志ではなく、犬上家の脅迫によるものとして」
「・・・・・・・・・・・・・・」
初めて聞いた新事実に、宗方は言葉もなく立ちつくす。そして面白くも無さそうに、倉木は決定打を与えた。
「霞織はお前を好いていたよ。―――お前がどんなに鈍くても」
「・・・・・・・・・・・・・・・・なっ」
これまたとても珍しく、宗方は微かに赤面した。歩いていく倉木の後ろ姿を見ながら、口を手で押さえる。
(・・・今、頼正達がいなくて良かった・・・・・・・!)
何を言われるか、わかったものではない。
ちらりと霞織の墓を見て、宗方は目元をゆるめた。
「また今度、近いうちに会いに来るよ」
照れ隠しのようにがしがしと頭を掻いて、宗方もまた、元来た道を帰り始めた。
霞織の墓の前では、二つの花束が綺麗に咲いていた。
* * *
予想通りと言えば予想通り。宗方が家に戻ると八千夜が仁王立ちで立っていた。
「寝てろと言ってるんだ、馬鹿者がッ!」
いい加減、心配から来ているとは言え耳をふさぎたくなってきた。適当に宥めてゆっくり部屋に向かう。最初だけ怒鳴ったが、後は八千夜も傷に響くと考えたのか大きな声は出さなかった。
「まったく、重傷だと言ってるだろうに」
「動けるから良いじゃねぇか」
「治りが遅くなるだろうが!」
苛々と頭を掻く八千夜を見て、宗方は歎息した。そしてまた部屋とは違う方向へ向かう宗方の後を八千夜が追う。
「こら、どこへ行く」
「電話かけるだけだ」
犬上家に置かれた唯一の連絡手段。滅多に使われることのない古い型の黒電話の上に薄く積もった埃を吹き飛ばして、宗方は受話器を取った。
「どこにかけるのだ?」
仕組みはいまいち理解できない八千夜だったが、遠くの人間と会話できるというその機械を興味深そうに見ていた。
宗方はコール音を聞きながら答えた。
「香川のとこ」
三回のコールで、相手の受話器が上がった。
『はい、光闇出版編集部』
「記者の香川は・・・・・・・・」
いますか、と続ける前に、電話の相手は大声で叫んだ。一応受話器に手を当てたようだが丸聞こえだった。
『おーい、ノリちゃーん。むーちゃん先生から電話だよ〜』
ぴきっと宗方の手に力が入る。怪我をしていても、犬上家の怪力ではいつ受話器を握りつぶすかわからないので八千夜は慌てた。
大体名乗ってないのに何でわかるんだ。と、苛々しながら宗方は電話の相手が変わるのを待った。
『はーい、紀子でーす。むーちゃんから電話なんて珍しいわねぇ』
「・・・・・・・・くだらないあだ名広めてんじゃねぇよ香川」
『あらぁ、ご機嫌ナナメね。私この後取材があるからサクサク用件言っちゃって』
「頼みがある」
『・・・あら、なんでも言って? でも締め切りは延ばさないわよ』
「そうじゃねぇよ。物件を探してくれ。・・・・そうだな、マンションが良いか。出来れば静かなところがいい。四人住めるところで頼む」
『なんで!? むーちゃん家出るの?』
「近いうちに」
宗方がそう言うと、がたがたと暴れているのかと疑いたくなるような騒音が聞こえた。
『・・・・・・・・・・まかせて! 街中で静かな所ね? 高層マンションとかでもいいの? 他に条件は? 金銭面の範囲指定は?』
どうやら手元にある資料や冊子をかき集めてくれたらしい。
「適当にしてくれ。あとすぐに住める状態で移りたい」
『了解! ところで四人って誰? 弟さんと、この間の居候クンと、後一人は? もしかして、わた・・・・・・・・・・・』
がしょん。
叩き付けるように受話器を置いて、宗方は呟いた。
「・・・・・あいつなら場所も値段もそこそこ良いところ探すだろ。ただ押しかけられる危険があるが」
「香川殿なら問題なかろう。なかなかのやり手のようだからな」
その評価に同意も否定もしないで肩をすくめた宗方は、一つ欠伸をかみ殺した。
「・・・・・・・・・・・・・ちょっと寝るか」
「そうだ。さっさと寝てろ、後で粥を持っていこう――――今度は食べてやれよ、春日が拗ねるぞ」
「美味けりゃな」
宗方が、そう言い返したとき。
家が揺れた。
「ぅおっ!?」
腹の傷を抑えて蹌踉けた宗方を慌てて支えた八千夜は、何かが落ちたような音が庭から聞こえたので急いで庭に続く縁側に向かって走った。
「なんだ!?」
砂埃を立てて、広い犬上家の庭に立つ人影があった。勢いよく地面にぶつかったのか地面が少しへこんでいたが、その中心に立つ人物には何の問題も無さそうだった。隕石でも振ってきたような音で、その通りの衝撃を足に受けているだろうに。
晴れてきた砂埃の隙間を縫って人影を見たとき、八千夜は一瞬春日かと思った。後ろから宗方も姿を現す。
人影は家全体に響くような大声で叫んだ。
「玉藻(たまも)様―! どこに居られますか!? 玉藻様―!」
八千夜が春日と見間違えた人影。赤茶色の髪と褐色の瞳――うち左眼には瞼の上から大きな傷があったが――、それでも充分美青年と称される男が立っていた。
ただ、頭の上には三角の耳と、髪の色と同じ色の長い尾が服の隙間から揺れていたが。
一目でわかるその風体に、八千夜は思わず呟いた。
「・・・妖狐・・・・・・!?」
「火急の知らせです玉藻様!!!」
突如。犬上家に現れた赤毛の妖狐は、誰かを捜すようそう叫んでいた。