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「玉藻様―ッ!!!」
 焦ったようにそう呼び続ける妖狐に、とりあえず八千夜は話しかけた。
「ちょっ、待て。おぬし何者だ?」
 そこで初めて八千夜と宗方に気付いたのか、妖狐は鋭い目を据えた。傷のない方で片目だけだが。
「自分は玉藻様に仕える妖狐、赤狐(あかきつね)『夕楊(せきよう)』だ。玉藻様はどこに居られる?」
「玉藻って誰だ」
「・・・すまん、俺のことだ」
 宗方が問い返したとき、上空から違う声が聞こえた。そして軽やかに春日が降り立つ。夕楊のように地面をくぼませるどころか、足音すらしない軽さだ。
「玉藻様! やはりここに居られましたか」
「久しぶりだな夕楊。だが今、俺はその名は使ってないんだ。今は春日だ」
「・・・また御名を変えられたのですか。いい加減、お遊びに戯れるのはお控え下さい」
「相変わらず堅苦しいヤツだな。そして口うるさい」
 そう言いつつもどこか懐かしそうに笑った春日を見て、宗方はやれやれと息を吐いた。
「―――おい春日。上がって貰え」
「ああ、悪ぃな」
「別に気を遣ってる訳じゃない。俺が話を聞くのに楽だからだ」
 話はしっかり聞かせて貰う。そう言って宗方はよろよろと奥に姿を消した。
「しまった。まだ体調も優れんだろうに・・・・・」
 春日が眉を顰めたので、八千夜は軽く手を振った。
「さっきから外をフラフラしておるわ。・・・ところで夕楊と言ったか。火急の知らせのところ悪いが、とりあえず上がれ」
 八千夜もすたすたと家の中に戻る。軽く手を挙げてそれに応えた春日に目を丸くして、夕楊はぽつりと訊ねた。
「・・・・・・・玉藻様、あの者たちは・・・?」
「玉藻じゃない。春日だ」
 驚いている夕楊に、春日は笑いかけた。
「―――面白いだろう? 俺の友人だ」
「・・・・・・・・・人間、ですか?」
 言葉を失ったように驚いている夕楊の前を春日は黙って笑い、頷いた。
 
 
 
     * * *
 
 
 
 客間に、座布団を四つ並べてそれぞれ座った途端。夕楊は真剣な顔で春日の友だちという宗方の方を向いた。
「突然の訪問、失礼仕った。平にご容赦願いたい」
「はいはいわかったから」
 宗方がさっさと続きを促すと、夕楊は改まって背筋を正した。そして春日の方を向く。
「単刀直入に申し上げます。――――蜘蛛(くも)の襲撃を受けました」
「・・・・なに?」
「妖狐属の一部の集落が襲われ、全滅しました。間違いなく土蜘蛛の仕業です」
 春日は、一瞬躊躇ってから笑いかけた。
「冗談だろ。啀み合ってきた土蜘蛛とはいえ、いまさら・・・―――」
 信じていない様子の春日だったが、黙ったまま見つめる夕楊を見て笑顔を消した。
「・・・・・冗談だろ?」
「全て真実です。土蜘蛛の強行に激怒した妖狐達を抑えるのも自分では限界があります。ですからどうか、玉藻様―――いえ、春日様に、お戻り戴くべく参上仕りました」
 絶句した春日の顔を宗方は観察するように見る。そして視線を夕楊に向けた。
「・・・すでに自分たちは土蜘蛛と交戦しました。春日様の意により戦いは好まぬと此方の旨(むね)を告げても問答無用の一点張り・・・もともと話が通じる相手ではございませんが、自分たちもただ黙っているわけにはいきませぬ。・・・・・・・・激怒した妖狐達を集め、斬り込み隊長がすでに土蜘蛛の山へ向け進軍致しております」
「・・・俺の許可無しにか」
 春日の調子は、言葉だけは冷静といった感じだった。しかし滲み出るような熱いものを、隠しているような冷静さだ。
 春日の静かだが熱い問いに、夕楊は淡々と応えた。
「無礼を承知で申し上げます。斬り込み隊長の呼びかけに、賛同するものも多かったのです」
「・・・・・・・・・・なんと?」
「――・・・・曰く、姿をくらませたままの大将を信じて全滅するのをただ待つのか、と」
「・・・・・・・・」
 春日は目を閉じて少し俯いた。そして夕楊の顔に手を伸ばして、左眼の傷跡に触れた。
「・・・これはその交戦で出来たものか?」
「恥ずかしながら、多勢に無勢で完全に防ぐことが出来ず。毒爪に裂かれました」
 哀しげにその傷に触れて指を滑らせ、春日は悔やんだように顔を顰めた。
「すまない、俺のせいだ」
「自分のことは構いませぬ。それよりもただ、今は進軍している部隊が気がかりでございます。春日様に倣い、自分たちは各地に去り各々の在り方でしたが」
 夕楊は、一度そこで言葉を切った。
「・・・これ以上、仲間を失いたくはないのです」
 宗方と八千夜は黙ってそれらを聞いていた。夕楊は、春日の方へ頭を下げた。
「お戻り下さい春日様。貴方の力が必要です」
「―――――・・・・・」
 躊躇ったように黙ったままの春日に、夕楊はさらに追い打ちをかけた。
「即決下さいませ。・・・時間は残されておりませぬ」
「おいお前」
 突然、宗方が夕楊に声をかけた。夕楊は少し頭を上げ、宗方を見る。
「その斬り込み隊長といいお前といい、土蜘蛛とやらを滅ぼしたいのか?」
「・・・・・自分は、その問いを否定しかねまする。春日様のお言葉のとおり、自分も無駄な争いは避けたいのですが・・・・蜘蛛に怒りを感じているのも、事実なのです」
「勝算は?」
 その問いに、夕楊は怪訝そうな顔をした。
「勝つ見込みはあるのか。土蜘蛛と争って」
「・・・・・・正直に言って、難しいかと。膠着状態とはいえ、暗黙の了解でお互い手を出さないことになっていた妖狐属と土蜘蛛です。人間達の蔓延(はびこ)りによってあやかしの姿こそ稀少になりましたが、土蜘蛛は着実に数を増やしていきました。・・・・・・・・このままでは、残りの仲間達が失われるのも時間の問題です・・・!」
 ばっ、と夕楊は春日の方を向いた。
「どうか! 妖狐属の大将として、お戻り下さい!」
 春日は無表情の中に悲しみだけを浮かべて夕楊を見つめていた。争いを避けて通る生き方を望めば望むほど、それは引き離されているようだった。
 春日は、呟いた。
「・・・・・争いは好きじゃねぇ」
 夕楊は、叫ぶように言った。
「悠長なことを仰られるな! 仲間を見捨てるのですか!?」
「・・・・・・・・・」
 春日は、夕楊の眼の傷を見て苦渋の顔になった。
「――來軌(らいき)は、何人連れて行った?」
 八千夜が思うに、恐らく『來軌』とは斬り込み隊長の名だ。
 夕楊は、確信のない言葉で応えた。
「おそらく、十数名です。逆に言えば、自分たちはもうそれだけしか残っていないのです!」
 春日の顔が、哀しげに眉を下げた。
「・・・・・・・・仲間を助け、蜘蛛を討てと。それがお前の望みか?」
「無論です」
 即答した夕楊の瞳に、嘘偽りと躊躇いは無かった。
 春日は一つ頷いて立ち上がった。
「・・・・・・ならば行こう。異種間の戦いに大将が出んわけにもいくまい」
 夕楊の顔が初めて輝いた。
「では・・・」
「ああ。―――・・・そんなわけだ。ワリィな」
 宗方と八千夜にそう言って。そのまますたすたと障子を開けると、春日は炎をまとって妖狐の姿へと戻った。夕楊も美青年だったが、やはり並ぶと春日の方が輝いて見える。
「待て」
 そこで八千夜が呼び止めた。春日と夕楊は振り向く。
「勝ち目のほぼ無い土蜘蛛との戦いに、春日が行けば勝てるのか?」
「・・・・・・・・」
 春日は一瞬考えて、いつもの様に笑った。
「取り繕っても無駄だから正直に言う。わからねぇよ、戦(いくさ)なんてやってみないと勝ち目なんか見えてこねぇ」
「ならば勝て」
 八千夜がそう言うのを聞いて、春日は笑っていた顔を驚いた顔に変えた。
「いつの時代も、貴様が戦を嫌っているのを知っている。だが、戦うのなら蜘蛛を倒してでも生き延びろ、勝て」
 八千夜は無表情だったが、心配しているのだと気付くと可笑しくなった。本当に感情というものを覚えたこの天狗は、自分以上に人間じみている。と、春日は苦笑した。
 そして宗方の方を見る。宗方はいつの間にか取り出していた煙管をふかしていた。
「・・・・・・傷が治るまで吸うのは控えろよ」
「俺の勝手だ。そして行くのもお前の勝手、だろ」
「ああ、その通りだな」
 やっぱり面白い。春日はくつくつと笑いながら、二人に背を向けた。
「―――さて、行こうか夕楊」
 夕楊は、俯いたまま小声で呟いた
「申し訳ございませぬ、春日様」
「何言ってんだ。この事態は俺のせいだと言ったろ」
 本当は行きたくないだろうに、その笑った顔は夕楊がよく知る『妖狐属の大将』だった。
 満面の笑顔で、春日は八千夜と宗方を振り返った。
「じゃな、ちょっくら行ってくる。また帰ってきたときはヨロシク頼むぜ!」
 先に空を駆けた赤狐・夕楊の後に続くように、春日も空に舞い上がった。本当に流れ星のような速さで小さくなるその姿を見ていた八千夜と宗方は、どちらともなく家の中に戻った。
 

     * * *
 

 あの時は実感が湧かなかった。今から戦いに行くのだという。
 春日は笑っていたし、どれだけ難しい戦いだとはいえ春日は妖狐属の大将で最高位の九尾だ。そう簡単には負けない。
 そう、当然のことだと思っていた。春日が帰ってくると言うからには、すぐに帰ってくるのだろうと。
―――だが。
「もう三日だ」
 八千夜が、誰に言うでもなく呟いた。
 宗方の傷はほぼ完全に回復した。予定よりだいぶ早い回復だったが、早すぎるというわけでも無さそうだった。そこで当初決めていた通り、そろそろ一度頼正に会いに行きたい。当然春日も来ると思っていたので待っていたが、いっこうに帰ってくる気配はなかった。
「おい」
 木に登って足をぶらぶらさせていた八千夜のもとに、宗方がやってきた。
「電話があった。香川から」
「なんと?」
 八千夜は木の枝から飛び降りて訊ねた。
「物件が見付かった。家具一式も全て用意済みだそうだ」
 仕事の速さは天下一品と自負するだけあって、いつものことながら紀子の手腕には恐れ入る。
「そうか・・・・春日はどうする?」
「・・・・・・・いつ帰ってくるかわからないからな。先に頼正に会いに行こう」
 つまり、今日にでも家を出ると言うことか。八千夜は駆け足で家の中へと向かう。
「荷物は最小限で良い。もし物が足らなかったら買え」
「宗方、頼正に会いに行くのは良いが・・・・その、怒るなよ。頼正も顔を会わせづらかったのだろうし・・・・・・傷ついてるんだから、察してやれよ」
 宗方は、ぐちぐちとそう言う八千夜の頭を殴った。拳で。
「うるせぇな、お前に言われなくてもわかってんだよ」
「〜〜〜〜いちいち殴るでないわ!」
 頭をさすって抗議する八千夜の前を歩いて、宗方はばきばきと指を鳴らして呟いた。
「・・・・・・犬神になったことも、そのフクロウとかいうヤツのとこに残ったことも俺は怒ってない。ただ、俺に怒られると思ったことはむかつくから殴る」
 八千夜は眼を半眼にしてため息をついた。
「結局怒るのではないか・・・」
 ここにいない頼正に同情して、八千夜は心の中で合掌した。
 
 
 
 五時間の道を経て。再び揺られた電車に気分を悪くした八千夜は、相変わらずの人の多さにため息をついた。
 結局引っ越しの荷物は日帰り旅行程度の量になった。宗方に関しては資料と言って本やらなんやら紙袋を下げていたが、とても重そうには見えなかった。
「むーちゃーん! やーちよクーン!」
 駅を出てすぐに、大声でそう呼ばれて宗方は眉間にしわを寄せて振り返った。そこには満面の笑顔の紀子がいた。赤い車に凭れて手を振って、どうやら迎えに来てくれたらしい。
「ちょっと〜荷物それだけ?」
「後は買うからいい。それより大声で呼ぶな」
「つれないわねぇ。―――はぁい、コンニチワ八千夜くん」
 八千夜は黙ったまま軽く頭を下げた。すると紀子はその八千夜の頭を抱きかかえるように抱きしめた。
「かーわーいーいー。八千夜くん、お姉さんと一緒に住まない?」
「え、ちょっ」
 たじたじと慌てている八千夜を見かねて、宗方は紀子から八千夜を引きはがした。
「ガキをからかうな。物件まで案内してくれるんじゃなかったのか」
「挨拶よ挨拶。送ってってあげるわよ、乗って乗って」
 上機嫌で運転席に乗り込んだ紀子を見て、八千夜は疲れたように呟いた。
「・・・・どう反応すればいいのかわからん」
「気にするな。過剰に抱きつく癖があるが悪いヤツじゃない」
 そう言う宗方が後ろのドアを開けて乗り込む。八千夜も「それはわかってるが・・・」と言いながらその隣に座った。
 車を運転しながら、紀子は簡単に説明を始めた。だが八千夜は初めて乗る車に今度は感心してばかりだった。じーっと外を見ている八千夜の姿に、宗方は(子供に見えてちょうど良い)と、紀子の話を聞いていた。
「迷ったんだけどね、結局マンションにしちゃった。都会の中心の方が便利だし、高層マンションなら結構騒音も聞こえないし、4LDKを探したからあんまり値段良いところ無くて・・・・ちょっと値が張っちゃったけど、これでも顔効かせて交渉したのよ?」
「わかった、サンキュ」
「最寄り駅から徒歩十分、因みに光闇出版まで徒歩十五分。むーちゃんの好みだと和室にしたかったんだけど・・・ごめん無理だった」
「いや、いい。家具その他は?」
「一応炊飯家具とテレビ、電話、机、椅子。・・・と、ベッドくらいなら用意してあるわよ? それぞれの部屋に」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・おい香川。いくらかかったんだ」
 信号で止まった隙に、紀子はにまっと笑って後部座席の宗方に振り返った。
「大丈夫、顔効かせてまけて貰ったから」
「・・・・・・・・」
 もと雑誌記者だった紀子は、色んな方面でコネクションを持つ。と、紀子自身は言うが、きっと弱みを握られているんだろうと、宗方は安く(きっと仕入れ値に近い値段)で物を売らされた家具店に心底同情した。
「あ、アレアレ。あのマンションよ、グレーのヤツ」
 再び車が進み始めると、紀子はバックミラーで宗方に呼びかけた。宗方は指された方を見る。
「ニューオープンの三十五階建ての最上階よ。大丈夫50%オフまで落としたわ」
「・・・・」
 宗方は、本当に紀子に任せて良かったんだろうかと、高いマンション最上階を見て思った。
 

 4LDK、風呂とトイレは別。床はフローリング。
「なんと・・・・広いな」
 そりゃあ、山頂にある犬上本家には敵わないけれど。
「好みがあるからネー。和風テイストが好きなら畳も敷けるわよ?」
「ん、いつかそうする。今はとりあえずこれで良い」
 ここが台所で、こっちがリビング。各自八畳間が四つと風呂トイレ。場所を説明して、紀子はさらに親切な言葉を続けた。
「あと食べ物とか少しは冷蔵庫に入れてあるから。これは私の引越祝いってことで」
「あ? いいよ、そんなに気を遣わなくても」
「いーのいーの。受け取っておきなさいよ。それとまた今度、招待してね〜?」
「ああ」
「じゃ、私はとりあえず帰るわね。何かあったらまた連絡してちょうだい」
 にっこり笑ってそう言った紀子の後を八千夜は追った。そして素直に礼を言う。
「何から何までかたじけない香川殿」
 今時の少年にあるまじき物言いでも、紀子は気にせず微笑んだ。そして冗談っぽく親指を立ててガッツポーズをとった。
「いいってことよ♪ それと八千夜くん、家出するなら私の家にいつでも置いてあげるからね、むーちゃんに苛められたらおいで?」
「・・・さっさと帰れ」
 宗方がそう言うと、紀子は肩をすくめた。そして手を敬礼のようにこめかみに当てた。
「じゃ、原稿も忘れないでねむーちゃん先生!」
「その呼び方もやめろ!」
 最後まで騒がしく、紀子は帰っていった。
「・・・ったく」
 呆れたようにため息を吐いた宗方のすぐ脇を、八千夜がすたすたと歩く。
「さて、行くぞ」
「あ?」
 八千夜はくるりと振り返った。
「頼正に会いに行くのだろう? どうやらここからそう遠くないようだ。来る途中にあの公園が見えた」
 引っ越し荷物――といっても、たいした物はないけれど――の片付けもせずに、宗方はすぐに新しい家の鍵を握って八千夜の後を追った。
 
 
 
     * * *
 
 
 
「・・・ん?」
 頼正はふと眼を覚ました。日差しの暖かい庭に転がっているうちに寝てしまったらしい。身体を起こすと毛布がかけてあった。隣を見ると、もうフクロウの姿はない。
 目を擦りながら頭の中まで覚醒させようとしていると、フクロウが庭に出てきた。
「お、起きたか? ちょうど良い頼正、客だぞ」
「・・・・・―――」
 『客』。頼正はゆっくり振り返った。
「気持ちの整理は出来たか? 頼正」
 其処には八千夜が立っていた。一週間会えなかっただけで、凄く久しく感じた。
「八千夜くん・・・・・・・」
 と、扉の影で壁に凭れている宗方が小さく見えた。
「兄ちゃん」
「・・・・・」
 呼ばれて、宗方は初めて顔を頼正に向けた。俯いている頼正を見て宗方は声をかけた。
「とりあえず頼正、ちょっとこっち来い」
「・・・・・・・・・・・?」
 少し顔を上げると伸ばされた手が手招いている。おずおずと、頼正は近づいた。何故か八千夜は脇に避けている。
「何―――」
 問おうとして、言葉は最後まで続かなかった。
―――――ごちッ!!!
 頭上に思いっきり、拳が落ちてきたからだ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
 突如頭を殴られ、頼正は頭を抱えるようにしゃがみ込んだ。
「いったぁ・・・、ちょっ兄ちゃんいきなり何す・・・!」
「今のでチャラだ」
 宗方は「けっ」と毒づいて眉間にしわを寄せながら、近くで笑っていたフクロウから煙草を一つ奪った。
「くれ」
「いいよー」
 宗方の煙草に火をつけてやりながら、フクロウはにやにやと笑う。
「すっかり元気になったみたいだな。うん、抜糸もしていくか?」
「いらねぇ、糸は勝手に取った。動くのに邪魔だし」
「・・・・・・・痛かったろ? おい、正直に言えよ」
「痛くねぇよ」
 ふー、と煙を吐き出して宗方は――やっぱりちょっと偉そうに――言った。
「・・・・礼を言った方がいいのか?」
「世の中全てギブアンドテイク。オレは頼正の観察させて貰ってるし、礼を言われることは何一つねぇよ」
「ふぅん、ならいいけど」
 宗方はちらりと頼正を見た。
「頼正。俺はもう怒ってないし、帰るところは犬上家じゃなくて新居だ。お前、どうしたい?」
「は、え? 新居?」
「ここの近くに引っ越した。マンションだけどな」
 そう言っても頼正が迷った顔をしたのを、宗方は見逃さなかった。そして迷うというのがどういう事かも。でも、頼正の言葉を待った。
「僕は・・・・・」
 手をぎゅっと握って、頼正は哀しげに微笑んだ。
「・・・・ごめん。もう少し・・・ここにいてもいいかな・・・?」
 八千夜の顔がほんの少しだけ歪められた。宗方の表情は変わらない。
「兄ちゃんがもう怒ってなくても、村の人がいなくても・・・犬神になったことが、一番許せないのは自分なんだ・・・僕自身が、許せない。だから、帰りたいけど・・・まだ帰っちゃいけない気がする。帰ったらきっと甘えるから、このまま帰るわけにいかないんだ」
「・・・・・・そうか」
 宗方は目線をフクロウに向ける。
「・・・・頼正をもう少しここで預かって貰えますか?」
「全然オッケー!」
「その代わり、研究とか言って傷つけたり閉じこめたりしたら殺すぞ」
 宗方は凄むように言った。たじろきそうなその迫力にも、フクロウにはのれんに腕押しだ。両手を上げて、苦笑する。
「信用ねぇなぁ。しねぇよそんなこと。―――ちょーっと血とかは貰うかもしれないけど」
「泣かせなかったら、いい」
「・・・・・・難しいなぁ」
 ううむ、と顎に手を当てたフクロウに掴みかかりそうだったので、八千夜が宗方を止めた。八千夜はフクロウに向かって言った。
「フクロウ! 巫山戯(ふざけ)るのもいい加減にしろ」
「八千夜くん、兄ちゃん。僕なら大丈夫だから」
 にこりと頼正は笑った。久しぶりに見る満面の笑みだった。
「お茶煎れるよ僕。久しぶりに話でもしていってよ」
 上機嫌に台所に向かう頼正を見て、宗方は息を吐いた。ほぼ自宅同様に暮らしているらしい姿に少なからず安心した。
「ま、座りなさいよ。お二人さん」
 どこに? 散らかった部屋を見て二人はそう思ったが、フクロウが近くでがちゃがちゃと物を床に落とすと机と椅子が四つほど出てきた。
「・・・・・・片付けたらどうだ」
 宗方が呆れて言うと、フクロウは完全に冷えてしまったコーヒーをぐいっと飲みきって肩をすくめた。
「これでも頼正が来てからだいぶ綺麗になったんだけどな」
「・・・・・」
 やはり呆れた視線が返ってきても、フクロウは気にしない。
「コーヒーでいいかなぁ?」
 奥から頼正の声がした。フクロウは宗方達に言った。
「オレはいいけど、二人は?」
「同じでいい」
「・・・こーひー?」
 宗方は頼正に返事をした。
「頼正、八千夜には茶ぁ煎れてやれ」
 

 コーヒーにざばざば砂糖を入れてかき混ぜながら、フクロウは八千夜を観察した。
「うーん金の眼かぁ。ははっネロの目ぇみてぇだな」
「おぬし、人間の中でも変わった分類に入るだろう?」
「大多数を普通と呼ぶなら、オレは変わってるんじゃねぇの?」
 八千夜は熱い緑茶を一口飲んで、訊いてみた。
「・・・妖怪の存在を、信じるか?」
「居ても居なくてもいいや。オレは結局見たものしか信じないし、見てないからって否定もしない」
 頼正は、笑いながら片手を挙げた。一人椅子を逆向きに座って、椅子の背に腕を組んで顎を乗せている。
「実際、僕も『普通』じゃないしね」
「特別と考えたら、それは美徳と思うがなァ」
 ぼりぼりと頭を掻くフクロウ。八千夜は安心した。自分と違うものを、恐れ蔑む人物ではないらしい。
 宗方も同じ事を思ったのか、飲んでいたコーヒー――ちなみにブラック――をソーサーに戻した。
「改めて自己紹介をしようか。俺は犬上宗方。頼正を預かって貰う以上隠し立てする気はないので話すが、犬神というあやかしを奉る一族の、第十二代目当主にあたる」
 フクロウは口笛を吹いた。興味を示したのか、少し身を乗り出す。
「へぇ、じゃあアレだ。回復が早かったり、年取るのが遅いのも、その血が原因ってか?」
「まぁそうなるな」
 次に八千夜が自分の胸に手を当てた。
「儂は金剛坊(こんごうぼう)・天靜八千夜(てんせいやちよ)。事情あって今は人間だが、元は山に棲む天狗の種族だ」
「天狗! へー、妖怪って実在するんだなァ」
 感心したように言うフクロウに八千夜は苦笑した。
「疑わないのか? あやかしが怖くないのか」
「いや、あやかしってのが全体を見てどういうモンなのか知らねぇし。少なくともお前らは怖くない」
 それを聞いていた頼正が嬉しそうに笑った。フクロウに意外と懐いているらしい、と宗方も微笑した。
「ドクター変わってるけどいい人だよ。だから僕は大丈夫」
 それはきっと、宗方に向けて言われていた。
「つーか無理強いしようにも、こいつなら簡単に抵抗できるだろ。怪力だし」
「ああ、そうだな。それにお前も無理強いしないだろう」
「したら殺されちゃうからネー、宗方クンに」
「やめろ気色悪い」
 そう言う宗方の顔も笑っていた。
「宗方でいい」
「じゃ、俺はフクロウかドクターね。ところでこの間の色男はどうした?」
「そういや春日さんは?」
 頼正も首を傾げた。八千夜と宗方は顔を見合わせる。
 無意味に心配させる必要もないし、何より説明できるほど知っているわけでもない。
「ちょっと出かけるそうだ。帰ってくるらしいがいつのことやら」
 そう八千夜が応えたので、宗方も適当に頷いておいた。
 久しぶりに話して、宗方と八千夜は帰った。帰り際、新居の場所を説明して、香川に頼んで作らせてもらっていた合い鍵を頼正に預けた。
 宗方は再び俯いて謝った弟の頭を一つ撫でた。
「いつか帰ってこい」
 そんなアバウトな言葉をかけて、宗方は背を向けた。それきり振り返らずに、宗方と八千夜は一直線にマンションに向かった。
 帰って第一声、八千夜は呟くように言った。
「・・・・広いな、この家は」
 宗方は冷蔵庫の中身を確かめながらやはり呟くように言った。
「二人になるとはな・・・・・4LDKじゃ広すぎたか」
 頼正の手前笑顔で送り出したが、やはり二人では寂寞感が辺りを漂った。とりあえず八千夜は、バルコニーに出て都市を見た。
 小さく見えるその景色を眺め、八千夜は風を一身に受ける。高い景色は天狗時代を思い出させた。空を見ると陽が落ちかけ、一番星が輝いている。
(風の声が聞こえる・・・・・・)
 八千夜は目を閉じて耳を澄ました。当時もよくやった、風の噂だ。当時と違って雑音も多く混ざっているが、その懐かしさは心を落ち着かせた。
 ふと思いついて、八千夜は風に訊ねた。
「妖怪の抗争を知らぬか?」
 その時は行方もしれない春日の噂が聞ければいいと思ったのだ。
 だが、しばらくして返ってきた風の声に愕然とした。
[争っていた蜘蛛と妖狐。蜘蛛が勝った。妖狐は負けた。妖狐は途絶えた。蜘蛛が断ち切った。蜘蛛は笑って、妖狐は泣いた。おのおのの大将を思って、蜘蛛は笑って妖狐は泣いた]
 自分の頭から血が引くような感覚を覚え、八千夜は乱暴に部屋に駆け戻った。
「宗方! 春日を捜した方が良いかもしれん!」
「・・・・何?」
 冷蔵庫に入っていたらしいビール缶を開けて飲み、宗方は怪訝な顔をした。八千夜は嫌な予感を感じ、それを落ち着かせようと試みながら話す。
「風たちが噂している。妖狐が負けたと、大将を思って泣いていると」
――――蜘蛛が勝った。
 もともと負け戦のようなものだと言っていた。勝ち目がない戦いに、戦いが好きではない春日が大将として戦渦に向かった。長く生き、いくつもの戦争を体験した九尾の狐がそう簡単に死ぬはずがないと思っていた。だが、それは人間たちの争いや助けるために戦渦に飛び込んでいたのだ。そして今回は妖怪同士の因縁の戦い。
 種族同士の、大将の首を取る戦いなのだ。そして相手の蜘蛛の残忍性は八千夜も知っていた。蜘蛛が妖狐属を疎んで睨んでいることも知っている。
 それでどうして、無事にすぐ帰ってくると思ったのだろうか。
 八千夜は、今頃緊張と焦燥で胸騒ぎが始まった。確かめるように、呟く。
「妖狐属が負けた。春日は帰ってこないかもしれない」
 八千夜の言葉に、宗方は手に持っている中身が残ったビール缶を握りつぶした。