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 九尾と呼ばれた青年は、音を立てずに部屋に入り、すっと八千夜の前で膝をついた。行動全てが美しくて、頼正は驚いたままその青年から目が離せなかった。
「・・・・・・・・・・良い姿だな天狗。人間に成り下がったか」
「・・・・・・・」
 忌々しげに睨む八千夜の顔を見てくつくつと笑い、青年――九尾――は立ち上がって腕を組んだ。
「まあそう邪険にするなよ。俺は別に、お前を笑いに来たわけじゃない」
「ならばさっさと用件を言え」
「せっかちな所は変わってないな。うむうむ、実に懐かしい。かれこれ、八百・・・いや千年ぶりか?」
 あまりに大きな年月を聞いて、頼正はこの青年もあやかしだと気付く。そして、八千夜の言っていた言葉を思い出し、驚きで今度は口のしまりが悪くなった。
 九尾。それを聞いて思い出すのは、『九尾の狐』。大妖である。
「何を言っている、もう呆けたか。まだほんの十年ぶりだろう?」
「テメーが封印されてからすでに千年近くの月日が経ってるんだよ」
「何? そんなに経っているのか!」
 ・・・・大妖であるはずだが、どうもこの二人の会話を見聞きしていると、長年の友が再会を果たした時のようである。
「や、ややや八千夜くん・・・・」
「おお、頼正。すまんな、コレは儂の旧友、九尾だ」
「・・・・・よろしく? 頼正」
「え、あのっ。・・・こちらこそ」
 聞きたいことはたくさんあったが、とりあえず返事を返す。端正な容姿だけに何故か緊張してしまう。
 そんな頼正に気付いたのか九尾はにやりと笑い、頼正の顎を形良い指二本でくいっと上に向かせる。
「何を緊張している? 普通で構わないぞ?」
「あっあの・・・!」
 顔を近づけて意地悪く笑う九尾に、頼正はさらに慌てる。見かねた八千夜が助け船を出した。
「やめんか九尾。頼正を惑わすな」
「くくく。後宮で美姫たちに紛れた俺が、このような子供を相手にするはず無いだろう?」
 さすがは狐。笑って目を細めれば、さらにツリ目となった。それでも美しさは劣らないので美姫に見まごうという話はあながち嘘ではないのだろう。
「ま、そんなことはどうでもいいんだ」
「そうじゃ、一体何の用だ?」
「お前が封印されてから、えらく暇でな。あやかし共は人間のエレキテルに身を小さくしていったし、日本を出るのも気が進まなくて、俺も実はさっきまで眠ってたんだよ」
 やれやれ、肩が凝って仕方がない。そう言って大きく伸びをし、九尾は首をまわした。
「で、先ほど千年ぶりにお前の氣を感じてな、飛び起きてきたんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 嫌そうな顔をしている八千夜と対照的に、九尾はにやりと笑った。
「手伝ってやるよ、天狗。感謝しな」
 ふんぞり返って言う九尾に頭を抱えながら、八千夜は呟くように言った。
「おぬし・・・・・・おぬしがそう言うときは、見返りがあるのだろう?」
「わかってんじゃねーか。俺も頼みてぇことがあるんだ」
「・・・それが何かを先に言え」
「ちょっと匿ってくれ。見付かりたくねぇやつに追われてんだよ」
 気配を極力消しても、僅かに残る妖怪の気にヤツがいつ気付くか判らないので、妖気の高いここに匿ってくれ、と。九尾は畳の上に座り込んで言った。
「儂に言われてもな・・・。どうだ頼正」
「僕じゃ無理だよ。兄ちゃんに聞かないと」
 頼正がまたややこしいことになったなぁと肩をすくめたとき、ちょうど宗方が入ってきた。手に包丁を持って。
「俺が何だ」
「わー! なんだよ兄ちゃん! 刃を向けて包丁持たないでよ!」
 宗方は青い顔で叫ぶ頼正に顔を顰めながら、部屋を見渡して嫌でも目に入る金髪を見て少しだけ目を開いた。
「あ、兄ちゃん。こちら八千夜くんの友だちなんだけどね・・・・・――――」
 頼正が説明を始めたのも無視して、宗方はいきなり手に持った包丁を、紹介されたのですこしだけ愛想良く手を振っている九尾に投げつけた。
「見つけたぞ狐!」
 顔面に飛ばされたそれをひょいと避けた九尾。後ろの柱に刺さって「びぃいん」と揺れている包丁を見て、八千夜は冷や汗を流した。九尾は何が楽しいのかにやにや笑っている。
「大層な歓迎ぶりだな」
「折角美味そうな肉を見つけたのにむざむざ逃がすか!」
「兄ちゃん・・・・・こちら八千夜くんの友だちの九尾さんデス」
「ふん、やはり狐か」
 狐。確かにしばらく食べてないし美味しそうだけど、少なくとも人の形をしている九尾を肉と割り切るのは止めてもらいたい、と頼正は静かに涙した。八千夜は黙ったまま状況を観察している。
「こっちのが、お前の兄か?」
 宗方を指して訊く九尾の問いに、頼正は力無く頷いた。半分「どうにでもなれ」という感が伝わってくる。九尾は宗方に顔を向けた。
「頼みがあるんだが」
「今日の食材になるか、もしくは今日の食材を獲ってくれば考えてやる」
「前者は却下。後者は・・・・・・何がいい?」
「肉。うさぎか何か・・・・この山にいるヤツならなんでも」
「うさぎか・・・・・・・まぁいい。じゃあ獲ってきてやるよ。その代わり、俺の頼みは聞き入れてもらうからな」
「考えてやると言っただけだ」
 浴衣の袂から煙管を取り出し、火を付ける宗方。やれやれと柱にもたれながら宗方はちらりと頼正を見た。宗方は何も訊かなかったが、頼正は苦笑して答えた。
「あ、大丈夫。数日で治ると思う」
 腕をさすって言う頼正に、宗方は「ふん」と言って顔を逸らしてから言った。
「・・・べつにそんなこと訊いてねぇだろ」
 明らかに心配していた兄を思い出し、頼正はくすくす笑った。そしてまた煙管を銜えたままの宗方にヘッドロックをかけられていた。手を怪我しても容赦ない攻撃に、頼正は「ギブギブ!」と叫び続けた。
 様子を見ていた八千夜は、頼正が言っていた言葉を思い出していた。『あれで優しいときもあるよー。たまにだけど』。あながち間違ってもいなさそうだ。いまの現状を見る限り、とてもそうは思えないが。
 九尾は、よい隠れ蓑を見つけたものだと、一人ご満悦の表情だ。
「・・・・・・頼正の兄」
「宗方だ」
 またしても口から霊魂を出して堕ちた頼正を放し、宗方は煙管を口から話して応えた。九尾は一つ頷いて続ける。
「宗方。俺を此処に置いてくれ」
「肉捕ってから言えや」
 仮にも大妖の九尾の狐に、なんと怖い物知らずな・・・と頼正は薄れた意識を取り戻す。宗方は黙ったまま一部始終を観察している八千夜の方を向いた。
「おいクソガキ。飯食ったら、いきさつ全てを隠さずに順序よく説明しろ。俺の家にいる以上、俺には聞く権利がある―――テメェもだ狐」
「置いてくれる気になったか?」
「さっさと肉捕りに行けよテメェ。準備できないだろうが」
 犬上家の主食は肉。人間でありながら食肉目であるので仕方ない。九尾は、耽美な顔を宗方に近づけて、言った。
「・・・・・多少の無礼は許してやるさ。俺が頼み事をしている側だからな。・・・・・・・・・じゃあウサギの肉だったな。一、二羽でいいか?」
「ああ、出来れば生け捕りにしろ。時間が経ったら固くてまずくなる」
 頼正とは違い、顔を近づけてもたじろかない宗方に九尾はつまらなさそうに手を挙げて「了解」と言った。
 素足のまま部屋を出て、ひょいひょいっと身軽に庭先の壁を飛び越える九尾を見て、宗方は面倒くさそうに呟いた。
「・・・・ったく。よく客が来る日だぜ」
 その隣で、くん、と鼻を鳴らした頼正は、申し訳なさそうに控えめに呟いた。
「・・・・・・・・兄ちゃん。疲れてるトコ悪いけどさぁ、村長さんの匂いがする」
「・・・・・・・・来やがったかあのクソジジイ!」
 あーもう、と毒づきながらがしがしと頭を掻く宗方は、立ち上がって八千夜を見た。
「来いガキ。ジジイ共を迎える準備が必要だ、くそっ」
 早足に部屋を出て行く宗方の後ろ姿を見ながら、八千夜は怒鳴った。
「儂は餓鬼ではない! 少なくとも貴様よりは長生きじゃ馬鹿者!」
「どうでもいい! さっさと来いってんだよ」
 苛々と八千夜の首根っこを掴み、宗方は乱暴に部屋を出る。宗方は、まだ座り込んだままの頼正のほうを向いた。
「頼正。またジジイ共を部屋に通すがお前は来なくていい。大人しくしてろ」
 ピシャッと襖を閉め、ばたばたと廊下を歩く足音が遠くなるのを聞きながら、頼正は後ろに倒れて寝っ転がり、呟いた。
「・・・いつもだって兄ちゃんだけが相手してるじゃん」
 村長含む三人の男たちが時々犬上家にやってくるが、頼正はその席にいたことはない。宗方が必要ないというからだ。
 頼正は、手を庇って右側に転がりながら少し口をとがらせる。
「僕には頼んだこと無いくせに、八千夜くんは連れて行くんだ・・・」
 寂しそうな拗ねたような頼正の呟きに返事を返すものはこの場にいなかった。






 頼正の心情を余所に。
「ちょっ、何をする!」
「うるせぇテメェがいると邪魔なんだよ大人しくしてろ!」
 宗方は八千夜を蔵に閉じこめていた。
 広い蔵のなかに掴んだ八千夜を放り込むと、宗方はさらに錠をかける。当然八千夜が黙っているはずが無く、がんがんと扉を叩いた。
「無礼者! 何の真似だ!」
「ジジイ共が来るのにお前がいるのバレたら面倒なんだよ! 幸い、狐はまだ帰ってこねぇだろうがお前はここで静かにしてろ。理由なら後で説明してやる!」
 暴れて扉を叩き続ける八千夜を置いて、宗方はさっさと屋敷内に戻っていった。扉に付けられた細窓からその様子を見ていた八千夜は、無駄だと悟り暴れるのを止める。だが怒りは収まらない。
「何なのだ一体・・・!」
 暗い蔵の中で、八千夜は八つ当たり気味に扉をもう一度殴った。






 犬上家正面玄関は長い階段がある。山を登る行程でおよそ千段の階段と山道。そこを通過しないと梺の村、梔(くちなし)村からの犬上家訪問は無理だ。
 多少息の乱れがあるものの、すいすいとその行程を登っている三人の人影があった。うち一人は杖を持っているが、それに頼っている様子はない。
 犬上家の巨大な門が見え始めたとき、三人の先頭で杖を持つ初老の男は足を止めた。
「・・・・・・何のご用で? 邑上(むらかみ)村長」
 門の前に、宗方が立っていたからだ。丁寧な口調と裏腹にその態度は実にだらけきっている。片足に重心を置いて煙管を持ち、格好は部屋着の浴衣のままだ。下からやってくる訪問者を見下している。口の端を真一文字にしたまま、杖を持つ初老―――邑上村長は重々しく口を開いた。
「慇懃無礼な態度は変わっておらんようだな。不躾に挨拶もないとは」
「これは失礼を。だがあんたがわざわざ来るのには理由があるだろう?」
 口にくわえた煙管を離して煙と一緒に言葉を吐く。邑上村長のうしろにいたひげ面の男が一歩前に出て怒鳴った。
「無礼者! 誰のおかげで貴様ら犬神憑きが生きていられると思っている!」
「少なくとも、そこの村長のおかげで俺たち一族は村八分にされたがな」
「命があるだけでも有り難いと思え!」
「俺らが怖かったんだろう!? お前たちは!」
 宗方が怒鳴って牙を剥くと、案の定びくついて半歩たじろいた。先頭の村長だけは動じずに、残る階段を上がりきった。
「ふん、若造のままの作りとはな。化け物め」
「化け物を飼った気でいると痛い目見るぜ?」
「飼い慣らそうなどとは思っていない。ただ」
 村長は、ちらりと宗方を見た。遅れて二人も登ってきて宗方を睨む。
「・・・わたしは、もう一匹の犬を見に来たのだ」
 宗方は眉間にしわを寄せる。この者たちの言い方で、犬とは何を指すのか判っているから腹が立つ。あえて否定はせずに、宗方は言った。
「・・・・・・・・・・頼正は、今怪我してる。今度にしろ」
「駄目だ。何年待ったと思っている。貴様らは・・・」
「頼正は何も知らない。まだ言っていない。だから・・・」
「あれだけのことをしておいて! 知らないだと!? ふざけるな!」
 村長の後ろにいた男が怒鳴った。そのまま殴りかかりそうな勢いだったので、邑上村長が留める。
「よせ」
「しかし!」
 邑上村長が譲らずにいると、男はしぶしぶといった感じで引き下がった。未練がましく宗方を睨む目からは、憎しみが溢れている。
 宗方は冷たい目でそれを見ていた。
「・・・・・用があるなら早くしてくれ。俺たちと関わりたくないヤツもいるみたいだしな」
 そう言って門を開けて促す宗方。邑上村長が門をくぐったあとに続く男は、憎々しげに宗方を睨み付けていた。
「化け物が・・・!」
 感情が荒い男と対照的に、もうひとりの――付け加えるなら意外と若い――男は無口で宗方に一瞥もくれずにその後に続いた。
 男の呟きは宗方の耳にも入ったが、何も言わずに門を閉めた。
 微かに匂うクチナシの香り。梔村に多く咲くクチナシの花の香りが村人の衣服や髪に染みついているのだ。先ほど頼正が言った村長の匂いとは、このクチナシの香りを指す。
 宗方はこの香りが大嫌いだ。ほのかに香るそれに、忌々しげに眉を寄せた。
 その一部始終を離れた位置で見ていた九尾。多い茂る高い木の枝の上に立ち、手に暴れるうさぎを二羽持ちながら、そっと呟いた。
「・・・・・・ふむ、ややこしくなってるみてぇだな」
 九尾はそのまま身軽に木を飛び降りた。







「あーけーろー! おのれっ」
 叫び続けて、悪態をつくのもままならなくなってきた。八千夜は息をついて蔵の奥に戻る。高く積み重なった木箱の一つに腰掛け、ほこりっぽい空気に眉を寄せた。
「まったく、声が届かんとはどういう広さだ。この家は」
 何か扉を開けるための道具、または使えそうな物はないかと蔵を漁りだした八千夜。高く積んであった小箱に手を伸ばすが、ぎりぎり届かず精一杯背を伸ばす。指先が届いた途端、絶妙なバランスを保っていた小箱は落ち、他の物と一緒に八千夜も崩れ落ちた。尻餅をついたところに取ろうとした小箱が頭の上に降ってきた。
「〜〜〜〜っ!」
 無言で悶え頭をさすりながら、小箱に手を伸ばす。蓋に書かれた物はおよそ蔵脱出には無縁だが興味が引かれた。
 『犬上家家系図』。
 一瞬考えてから、小箱を開けた。中から出てきたのは蓋に書かれた文字と同じく、たいそう古い巻物。慎重に紐を解き、そっと広げた。
「始祖者、裄智(ゆきとも)・・・・ふむ、書かれているのは鎌倉からか。実際はもっと前からあるだろうが・・・・・・・・・、なんだこれは」
 視線をたどり、何度数えても裄智から宗方までの繋がりは十二人しかいない。書かれている年数を考えると非常に少ない。
(含まれずにいた者も、少なくなかったと言うことか・・・?)
 巻物を広げてみるが、それ以上の名は書かれていない。宗方の右上には十二代目としっかり書かれている。
(まあ・・・犬神使いの家系が、由緒正しく生きられたかもわからぬしな。十二代続いたと判るだけでも妥当なところか)
 再び巻物をまき直していると、小さく扉を叩く音が聞こえた。
「おい天狗」
「九尾か?」
 光を入れるために細く開いていた窓から逆光で九尾の顔が見えた八千夜は急いでその前まで行く。
「・・・なにやってんだよ、お前」
「知るか! 何も言わずに閉じこめられたのだ!」
 九尾の呆れを含んだ物言いに、八千夜は忌々しく窓を掴んで言い返す。背の縮んだ八千夜が、見えない蔵の中で背伸びをしているのだろうと予想した九尾は小さく笑う。
「何が可笑しい!」
「いや、それよりも頼正は?」
「む、頼正は先ほどの部屋にまだ居ると思うが」
「そうか。わかった」
 そのまま蔵を離れていく九尾の背に向かって八千夜は慌てて怒鳴りつけた。
「待て! どこへ行く、開けていかんか!」
「ちょっとモメてんだ。テメェはもう少しそこにいろ。大人しくしてろよ?」
 事情があるのは本当のようだが、その口調と顔が明らかにからかっていたので八千夜は叫んだ。
「いい加減にしろ貴様―!!」
 その叫びを聞いて細目をさらにニヤリと細め、九尾は静かに屋敷の中に戻っていった。




「頼正」
 ごろごろと畳の上で寝っ転がっていた頼正は突然名を呼ばれ跳ね起きた。静かに細く襖を開けて頼正を見つめていたのは九尾であった。
「あ、九尾さん」
「俺らがいると面倒みたいだから黙って入ってきたが」
「はい、ありがとうございます」
 深々と頭を下げる頼正に苦笑しながら部屋に入って静かに襖を閉め、九尾は頼正の頭に手を置いた。そのまま頼正と視線を合わせるためにしゃがむ。
「からかいすぎたか? そう緊張するな。お前の兄のように、フレンドリーでかまわねぇぜ?」
 あの陰険なやりとりが九尾の中では「ふれんどりー」に含まれているのか、と頼正は半分呆れ、半分安堵で曖昧に笑い、「はい」と返した。
「でも、僕も村長さんたちが来たときにその場にいたことが無くて、今の状況を説明できないんですけど」
「いい。宗方が説明するだろう」
「・・・・・兄ちゃんは僕には話さないよ」
 泣きそうに苦笑している頼正に笑いかけ、九尾はまれに見る優しさで微笑んで言った。
「拗ねるな。俺が一緒に頼んでやる」
「・・・ありがとうございます」
 果たして突如現れた居候候補の意見など通じるのかどうかはさておいて、素直に礼を言い、頼正は九尾に訊いた。
「そういや八千夜くんは兄ちゃんの手伝いでもさせられてるのかな。九尾さん、知りませんか?」
 素朴な疑問だったろう頼正の言葉に、九尾は思い出したかのように吹き出して笑い、クスクスと目を細めて言った。
「あいつは叱られた子供宜しく、蔵に閉じこめられてたぜ?」
「・・・・・・・・・・・・は?」
「邪魔だったんだろ。宗方に閉じこめられたと言っていた」
「九尾さんは出してあげなかったんですか?」
「宗方にも理由があるだろう。俺は此処に置いてもらいたいからな、意図に逆らって機嫌を損ねるような真似はしない」
 その顔からは、楽しかったからだ、と大きく書かれていたが頼正は何も言わない。ただ、心の中で八千夜に謝り、哀れみを感じた。
「ところで頼正。うさぎは土間で良いよな? 俺が閉じこめられていたところに同じように置いてきたぞ」
 とても妖怪とは思えないその『ふれんどりー』な態度に、頼正は安心して微笑んだ。






 客間。広大な犬神家でいつもここに通される村長を筆頭とする三人は、正面に座る宗方に姿勢を正して向き直った。
「私たちが訪れたのは他でもない。そろそろ貴様と、もう一匹の犬が時機だろうと思ったのだ」
 こんっと煙管の灰を受け皿に落とし、宗方は苛々としながら煙草の葉を再び煙管に詰める。話を聞いているのかいないのか判らない態度だったが、構わず邑上村長は続けた。
「村の者が目撃した。昨日山で鴉が騒いでおったな」
「だから何だ」
「獣は敏感だからな。貴様らに反応したのではないのかと言っている」
「そりゃ関係ねぇな。俺も頼正も、何も出してない」
「だが、いつ出るともわからん。いや、すでに察知した獣たちの知らせではないかと村の者たちは思っておる」
「・・・だから」
 宗方が面倒だというように言いかけた途端、またも邑上村長の後ろに控えていたひげの男が怒鳴った。
「まだしらを切るか! 梔村と犬上家との不可侵条約を忘れたかッ」
 頭に血管を浮かべて大声で喋る男に対して、不快そうに眉を顰めながら、宗方は煙管に火を付け小声で言った。
「・・・・・・・・・・・強制的に押しつけといて、よく吼える」
 男にその声が届いたのかどうかは判らなかったが、邑上村長は遮るように言った。
「今また確認しよう。一つ、犬上家は梔村との関わりを禁ず。一つ、山から下りるべからず。一つ、・・・・」
「子を成すべからず」
「そうだ」
 後を取った宗方の呟きに、邑上村長は頷いた。
「犬上家の血は、薄くなろうとも確実に受け継がれる。貴様らが良い例だ」
「・・・・・・・」
 宗方は何も言わずに目だけ細めた。
「私たちの先祖は、確かに貴様ら一族を崇め奉っていた。乱世を生き延びる長寿の神童だったからだ。だがそれも、明治・平成の世となっては人間にはあり得ぬ化け物の血と言うことだ」
「・・・だから、お前たちは犬上家を村八分にし、村人との繋がりを絶ったんだろうが」
「だが貴様らの父や祖父は、それでも同じ血のうちで子を成した」
「確かに俺のお袋は、実の姉でもあった。まあ安心しろよ。もう犬上家に女はいない」
「それ故に私たちはこうして何度も釘を刺しに来ているんだ」
 邑上村長は、一度咳払いをしてから宗方を見据えた。
「化け物同士の間で何をしようとかまわない。だが、村のおなごたちに手を出されたらかなわんからな」
「俺たちは狼か」
 半眼で呆れた視線をよこす宗方に、邑上村長は相変わらず口を真一文字に結んだ真面目な顔で言った。
「同じ事だ。手を出すどころか、貴様らは喰う」
 侮蔑と嫌悪を含んだ物言い。吐き捨てるように邑上村長の口が歪んだ。
「・・・・・・前も同じこと言って帰ったの覚えてるか? ジジイ共」
「無論だ」
「・・・なら俺が毎回言ってることも覚えてるよなぁ?」
 宗方の目が怒りを含み、黒い目がほんの少し赤みを帯びる。
「・・・俺の前で、この家で。そのことについては、二度と口にするんじゃねぇ!」
 べきっと音を立てて、宗方の手の内にあった煙管が折れた。迫力に飲まれた邑上村長の後ろにいた二人は背に冷や汗を浮かべた。
 邑上村長は、感情を込めずに呟いた。
「犬上の一族など、はやく滅べばいい」
「俺の前にも頼正の前にも、二度とそのツラ見せるな」
「蛮族が」
「失せろ」
 しばらくの間睨みあった後、邑上村長が立ち上がった。
「異変が起きたら、すぐに殺してやる」
 そう言い残して、部屋を出て行く。邑上村長の後を追って、男二人も続く。うち片方の直情型の男は最後に殺意を抱いた目で宗方を睨み、もう一人の無口な男はやはり一言も喋らないまま一度視線を宗方に向けて出て行った。
 部屋に残った宗方は、右肩に残る古傷をさすりながら静かに呟いた。
「・・・・・・・・言われなくとも、これ以上犬上の血は増やさない」
 目を閉じ、過去に起きたことを思い出す。血生臭い惨劇を思い出し、宗方は眉間のしわをさらに寄せる。
 悲劇しか生まない犬神使いの血など、最初から無ければ良かったのだ。
「・・・・ちくしょ・・・・・」
 宗方は手で自分の額を抑え、本当に小さく、呟いた。







「・・・・・・・・・・・・ん?」
 頼正は鼻をくんくんとさせ、そっと襖を開ける。少しだけ顔を出すと、正門の方へ向かう見知れぬ三人がいた。その先頭にいた男と目が合う。慌てて頼正は小さく会釈した。だが、その男――邑上村長――は、細い目で頼正を睨み付けるとそのまま顔を背けた。その後ろにいた若い男も頼正の方を向き、気付くか気付かないかわからないほど微かに目元をゆるめて前の男たちに続いた。
 頼正はその態度に特に気を悪くしたわけでもなく、そのまま訪問者が帰るのを姿が確認できなくなるまで見ていた。
「――――・・・・・どうした?」
「・・・・ううん、なんでもない」
 室内から九尾に声をかけられ、頼正は襖を閉じた。
「お前は鼻が利くみたいだな。犬上という名をみると、犬神使いか」
「はい、兄ちゃんは鼻より耳みたいですけどね」
「まぁお前らほど薄い血となれば個々の差はでてくるさ。しかしそうなるとお前は召喚型か? それとも?」
「・・・・・・・・? しょう・・・・・?」
 何か知っているらしい九尾の言葉に頼正が首を傾げた。説明のために九尾が口を開こうとしたとき、すぱーん!と音を立てて襖が片方だけ開いた。いきなりのことに、頼正は肩をびくつかせて叫んだ。
「うおわあぁ! なんだよー兄ちゃん!」
「おう、ジジイ共帰った。頼正ちょっと裏に行ってアイツ出してこい」
 一瞬何のことかわからなかった頼正だが、すぐに八千夜のことだと気づき、一つ頷いてぱたぱたと長い廊下を走っていった。
 それを見送り、姿が見えなくなってから九尾は宗方に意地悪く笑いかける。宗方は頼正が消えた方をまだ見ていた。
「ずいぶんと過保護な兄みてぇだな」
「・・・・・テメェ、なんか知ってやがるのか?」
「察しの通り、俺は九尾の狐だぜ? 何年生きてると思ってんだ」
 「犬神使いをみるのも初めてじゃねぇんでな」と続けた九尾の胸ぐらを勢いよく掴み、宗方はぐいっと腕の力で持ち上げた。二人の視線が同じ高さになる。
「・・・・・・・頼正に、何も言うな」
「いいぜ? その代わりしばらく俺を匿ってくれよ」
 睨み付けて言う宗方に、九尾は降参を示すように両手をあげた。飄々とした態度にしばらく黙って睨んでいたが、宗方は一度舌打ちしてから手を離した。もともと綺麗に着込んでいなかったが、さらに乱れた浴衣のえりも気にも留めずに九尾は楽しそうに笑った。
 その様子に眉間にさらにしわを寄せ、宗方は全く違うことを訊いた。
「・・・・・・・うさぎは?」
「土間」
「良し」
そのまま夕飯の支度をするために歩き出した宗方の後を九尾も追う。
「ま、宜しく頼むよ宗方」
「・・・・・妖怪も飯は食うのか?」
「食べないでも大丈夫だが、食べることもできる」
 狐の姿の時に、油揚げにつられていた図を思い出した宗方は人知れずまたやってみようとぼんやり思う。
 そして今の会話的に、こいつも飯を食うんだろうなと思い、四人前用意せねばならない面倒を考え宗方は重くため息をついた。
「なんだなんだため息なんかついて。知ってるか? ため息をつくと幸せが逃げていくんだぞ」
「お前妖怪のわりにどうでもいいこと知ってんな」
 広い自宅。棟を越えた遠くで子供達の声が聞こえ、八千夜がやっと蔵から出して貰えたということを知らせる。
 宗方は後ろをついてくる九尾に向けて、声をかけた。
「・・・・・・・おい」
「んー?」
 前方を見て、九尾には一瞥もくれずに宗方が言う。
「・・・・お前が着てるの、俺のだろ」
 だらしなく九尾が胸元を開けて着ている浴衣。余りよく見ていなかったので気付いてなかったが、先ほど掴み上げたときに見たことがあるな、と思ったのだ。
「あ、そうそう借りた。素っ裸で歩くわけにいかねーだろ?」
 「縄から抜け出たはいいけど、狐のままってのもちょっと嫌だったし」という九尾のケラケラ笑いに、宗方は再びため息をついた。別に勝手に着られて不愉快になるほど狭量ではないが、もう少しきちんと着られないのか、と思ってのことだった。






 山菜のおひたし、漬け物、薄揚げと豆腐の味噌汁、白ご飯。定番の日本食に合わせて出されたのはうさぎの肉である。こんがり焼かれたその肉はすでに捌かれて切り身となっており、原型はない。
 半ば強制的に九尾を手伝わせ、宗方、頼正、八千夜、九尾は一緒に食卓に座った。九尾は始めて経験する『料理』というものに何度も感嘆の声を上げ、活き活きとしながら手伝っていた。
 いつも宗方と頼正が食事をするちゃぶ台ではちょっと狭いので、別の部屋から小型机を運ぶ頼正を手伝っていた八千夜は、調理済みうさぎの肉を持った宗方を見るなり、声を荒げた。
「宗方! 貴様よくも!」
 蔵から出てから宗方に出会った第一声の八千夜の言葉に、宗方は全く反応しなかった。きっと噛みついてくるだろう事は予想範疇内だ。
「ごちゃごちゃうるせぇ、飯だ」
「わーい、兄ちゃんの料理は久しぶりだな」
「いつもは頼正が作ってんのか?」
「まぁだいたいは。兄ちゃんも忙しいしね」
 八千夜の怒りを三人とも綺麗に無視して、がやがやと皿を運ぶ。無言で怒りに震える八千夜の肩を叩いて、無言のまま座ろうと促す頼正。
 八千夜は、にこにこと笑いながら席に着く頼正の隣に座り、目の前に置かれた箸を凝視する。
「怪我の功名だなー」
「ほざけ、明日からはまたお前が作れよ」
「ええー、いいじゃないあと一日―」
「甘えてんじゃねぇよ、気に入ったらしいからこいつら使えばいいだろ」
 こいつら、と指さされた九尾と八千夜。九尾は笑いながら答えた。
「かまわんぞ。楽しかったしな! それはそうと宗方、この家は酒はねぇのか? 俺はいつも神社の神酒を飲んでるんだが」
「知るか! 自分で用意しろ」
 頼正の向かいに宗方が座り、八千夜の向かいに九尾が座った。頼正が箸を持って「頂きます」と言ったとき、八千夜が声をかけた。
「・・・・・・すまぬ、頼正」
 宗方に指されても静かだった八千夜の様子を不審に思い、頼正は首を傾げた。
「なに?」
 八千夜は、相変わらず箸を凝視しながら呟いた。
「・・・・・・・これは、どうやって使えばいいのだ?」
「え」
八千夜の呟きに、宗方と九尾も呆れた顔で八千夜を見た。
「なんだ貴様ら!」
「・・・・・・・いや、お前。箸使ったこと無いのかよ」
「まったく、何年生きているんだお前は。俺なんかすることが無くなったときに、何度か見よう見まねで使ったぞ」
 宗方と九尾は、そう言って巧みに箸を用いて食事を始める。味噌汁をすする宗方と、器用におひたしを箸で掴んで口に運ぶ九尾に、八千夜は顔を少し赤くした。
「・・・悪かったな!」
 天狗の時に人間が物を食うのを見て食事をしたことは何度かあるが、その時は魚を焼いたり、果物を食べたりしただけで、箸など見たこともなかったのだ。
 箸を握りしめたまま、それ以上行動できない八千夜に見かねて頼正が見本を作る。
「八千夜くん、こうやって上だけ動かして。物を挟むんだ」
「・・・・・・・・・・・・・む? 言うほど簡単じゃないんだが・・・」
 ふるふると慣れない手つきで箸を動かす八千夜の隣で、大人二人は黙々と食べ続ける。天狗の時にはあまり感じなかった『空腹』を感じ、八千夜は苛立って宗方と九尾を睨んだ。その視線に気付いた九尾が、またもからかう。
「やれやれいつまでも童よのぅ天狗。ホレ、喰わせてやろうか?」
「・・・・・・・・いらんわ!! おのれっ」
 どうしようもないと自己判断した八千夜が箸で肉を突き刺した。その途端、宗方の手が伸び、ぱしんっと八千夜の手を叩く。
「刺し箸をするな。見苦しい」
「八千夜くん、刺し箸はお箸の使い方ではしてはいけないことだよ。ちゃんと挟まなきゃ」
「しかしそれではなかなか食べられんではないか!」
「慣れだよ慣れ」
「さっさと慣れろ」
 頼正と宗方の無責任な言葉に合わさって、思うように物が食べられないことに八千夜はだんだん苛立っていく。
 怪我をしている頼正も、利き手は無事なので器用に食べていく。九尾はすでに手を合わせて「御馳走様」と満足そうににんまり笑う。宗方は黙ったまま黙々と箸を動かす。
 思わぬところで苦労を強いられ、八千夜は「おのれ・・・」と毒づいた。
大人二人、子供二人。男ばかりで黙々と食事する光景――うち一人はものすごく四苦八苦しているが――は、端から見たら違和感丸出しの光景であった。