20
「大将だっ、大将が戻ってきた!」
少年の声が、嬉しそうに森に響いた。
動けない重傷患者も、その声を聞いた者は全員大将の姿を一目確認しようと身を起こそうとした。
攻撃を加えた事実を気にした様子もなく、再び春日を迎えた仲間たちを見て。その負傷具合をみて悔やんだ顔を見せた春日は、歩いていたのを駆け足に変えた。そして一番近くの負傷者のもとに駆けより、言葉を掛けた。
「すまない・・・すぐに治してやる」
即座に気を錬り始めた春日の肩を、夕楊が叩いた。
「出過ぎた真似とは承知しておりますが・・・女郎蜘蛛に力を喰われ過ぎております。癒しは、貴方の身体に負担がかかりすぎます。言わずもがな、貴方は自身の力を送るつもりなのでしょう?」
自らもフラフラと蹌踉けながら、そう言った夕楊に春日は微笑みかけた。
「・・・・・・それでもお前は止めないだろう?」
「止めて、それをお聞き入れなさる方ならば何度でも言いますが」
「はは、なら黙っとけ。俺が倒れても、文句言うなよ」
「無茶をなさる」
「それが俺の役目だ。大将としての」
ぽうっと仄かに光る気の流れを見つつ、夕楊も口元をゆるめた。
「・・・・それでこそ。自分たちは貴方のもとに集った」
「えーなんだよ、よせって照れるじゃん?」
「余裕じゃねーかテメー!」
ちょっと巫山戯た口調で照れ隠した春日に、來軌は苛立たしげにツッコミを入れた。
春日から相性の悪い者にも近づく方法を習ったシズクは、片手を上げておそるおそる声を掛けた。
「えーと、あたしでよければ。多少手伝えると思うんだけど」
春日が不思議そうな顔で振り向くと、シズクは水をまとって重傷患者の側で膝を突いた。
「水は繋がっている。そして生き物の身体にも水は流れている・・・・・」
そう言うとシズクは目を閉じて重傷患者の手を握った。シズクの全身がぼんやり光ると同時に、長い緑色の髪が舞い上がる。
その光はゆっくり確実に、倒れている妖狐属全員に行き渡った。
「おい・・・倒れるぞ」
來軌が言葉足らずに、「全員を癒すほどの力を使えばお前が倒れるぞ」と告げる途中にも、シズクの身体は大きく傾いた。後ろに倒れそうになったシズクの上半身を來軌は片腕で支えて止めた。
「ほらみろ、限界を知れよ」
「・・・・・・・あたしは、戦えないから。これくらいしなきゃって思ったんだけど。はは、しんどーい・・・・」
「お前まで倒れたら意味ねーだろバカ。力もねーくせに無理すんじゃねーよ」
無愛想にそう言う來軌の頭を、後ろから四人全員が小突いた。
シズクのおかげで。全ての妖狐属がなんとか体を起こせるほどに回復した。あとは自力で回復できるだろう。
「恩にきます・・・シズクさん」
來軌の肩を借りて立っているシズクに夕楊がそう言い、春日は――大将としては異例だが――恭しく片膝を付いてシズクの前に頭を下げた。
「本当に、ありがとう。妖狐属を助けてくれた礼はいつか必ず。・・・・いくら言っても言い足りないほどだが・・・大将として、一妖狐属として、仲間を救ってくれたことに感謝の意を示そう」
「ううん、いいんです。あ、でも・・・えーっと・・・・・・・・・・・・・・・お願いを一つ、良いですか?」
シズクはにへらっと苦笑して首を傾げた。春日は先を促すように顔を上げる。
「えっと・・・・あたしは、水の者だけど・・・・・あたしを、忘れないで下さい。此処に在らせてください」
おこがましいとわかっているその願い。震える手を握りながら告げたシズクの願いを、春日は目を丸くして聞いた。
「で、できれば・・・・本当に図々しいんですけど・・・・・、あ、あたしを・・・妖狐属に・・・・っ」
「――なんだそんなことかよ」
ぽりぽりと春日は頭を掻いた。口の端を上げてその鋭い目で弧を描く。
「もうとっくにお前は俺たちの仲間だ。水の者とか、関係ない」
シズクはパッと顔を上げて周りを見回した。夕楊も來軌も、そのほかの妖狐属も、シズクを見て微笑んでいた。シズクは再び目を春日に戻す。
「な?」
にかっと笑って首を傾げた春日と、彼を取り巻く妖狐属。シズクは、思わず顔を伏せてしゃがみ込んだ。
あやかしは涙を零さない。だから、これはただの水だ。
「ありがとう・・・!」
それを見ていた八千夜と宗方は、静かに口の端を上げて見守っていた。そしてふと、宗方は八千夜の方に目をやりながら煙草を取り出す。
「――・・・ところでお前。その姿どうすんだ? 街に帰れねぇだろ」
翼を羽ばたかせる八千夜の姿。子供の姿でも目立つと言えば目立つが、翼は駄目だ。隠しきれない。
宗方の問いに、八千夜は「問題ない」と首を振った。
そして八千夜を中心に、風の渦が起こった。葉を舞わせる程度の柔らかな風は、八千夜の身体から力を抜き取って二点に凝縮していく。
「・・・こんなものかな」
風が消えると同時に、八千夜の手には透明な結晶が二つ残った。勾玉の形をしているそれらを握りしめる八千夜の姿からは、翼が消え、少し背も縮み、頼正と変わらない子供の姿になっていた。
「どうやら儂は自分の魅縒り石を作り出せるようだ。このように結晶として取り出しておけば、自ずと姿は人間になる」
勾玉の形に作り出された魅縒り石を宗方に見せる八千夜。宗方は吸い込んだ紫煙をゆっくり吐き出すと指で煙草を挟んだ手を顎にやった。
「便利だな」
「そうでもない、―――服まではどうこうできんからな」
くしゅっと小さくくしゃみをした八千夜を遠目に見て、春日は笑った。
* * *
その夜、妖狐属は大いに盛り上がった。久しぶりに集った仲間同士で宴を開き、シズクの歓迎会を催した。
その輪の端で、傍観を決め込んでいた八千夜と宗方のもとに春日も訪れ、酒好きの春日はどこからともなく日本酒を取り出した。
「神酒だよ神酒。―――この近くに、神社があるんだ」
「盗んだのか?」
「馬鹿言え。俺を祀った神社だ、俺が呑んで何が悪い」
失礼な宗方の言葉に春日は眉間にしわを寄せて言った。大妖九尾の狐である彼は、人間達に恐れられ、それを祀る神社が建てられているのだという。
そうやって形になっている春日は、決して人に忘れられることはない。だからこそ此処にあり続ける。
「八千夜はどうする? 飲むか?」
宗方には猪口を渡しながら、春日は訊ねた。
「いや、儂は遠慮しておこう。身体は人間の子供だからな。おぬし等だけで飲め」
妖狐属の輪の方を見ると、夕楊と來軌がシズクと他の仲間達に盃を回していた。恐らく仲間同士の信頼の証としての儀式なのだろう。
「・・・・・・いいって、いいって。夕楊がやってくれる」
八千夜が春日に「お前は良いのか」と訊く前に、春日は片手を振って猪口に口を付けた。
「っはぁ。美味い!」
少し離れた場所で宗方と飲み始めた春日を後目に、八千夜は一人で少し散歩に行った。人間らしさが出て、あのような場が嫌いというわけではないが、どちらかというと苦手だ。賑やかな騒ぎを聴きながら、空に広がる星を眺める。シズクに連れてこられたので場所がわからないが人里から離れた山奥なのだろう。
ばたばたと揺れる掛け布の端を合わせながら、八千夜は目を閉じた。――服の代わりに、と夕楊が用意してくれた大きな布で身体をくるんでいるのだ。不便だが寒さは凌げる。
土蜘蛛の大将、女郎蜘蛛を討った。そのことで残りの土蜘蛛はどうすると問えば、春日は放っておけと言った。頭を失った蜘蛛たちは、恐らく身を小さくしていることだろう、と。そしていずれ、数が多いとしても、土蜘蛛たちは滅びるだろう。その存在を誰もが認知しなくなれば。
蜘蛛は嫌いだ。だが、だからといって消せばいいというものではない。
彼らは此処にいた。存在していたのだ。
誰にもそれを奪う権利など無い。いずれ消えることがあやかしとしての宿命だとしても。
シズクの言葉が反復し、八千夜の中で記憶として甦る。
『そんな宿命(さだめ)は、嫌だ!』
―――何も、望んではいけない。お前は誰より静かに、無垢なまま、何も学ばず、ただ此処に居ればいい。決して、何にも『興味』を持ってはいけない。
かつて八千夜に名を与えた老人の言葉は、何年――千年経っても、八千夜のなかに残っている。
八千夜は、風の響きを聴きながら、そっと呟いた。
「・・・・・・・・・・哀しい、ことだな」
それが、そんなことが、宿命だなんて。
「―――あんたが同情でもしているのかい?」
「!!」
「はっ・・・・随分趣向替えしたもんだ」
突如、一人で歩く八千夜に声がかけられた。さっと見上げると、月を背負って、誰かが木の上に足を組んで座っていた。逆光で顔には影がかかっている。
「誰だ! 名乗れ!」
魅縒り石を強く握りしめ、八千夜は素早く体内に取り込む。突如現れた不審者に対する警戒もかねていた。―――自分が人間であるとはいえ、声を掛けられるまで八千夜はその存在に気付かなかったのだ。
不審者は、翼を携えた八千夜を見てクスリと笑う。そして、自らも黒い翼を広げた。
「なっ・・・・・!?」
「―――久しぶりだね、金剛天狗。それともお兄様って呼んであげようか?」
組んだ足に肘を突いて手に顎を載せるその影と、覚えのある呼ばれ方に八千夜は背筋を震わした。
「・・・・・・・・千影(ちかげ)・・・!?」
「気安く呼ぶな。ボクはもう、あんたに敬服しているわけじゃないんだ」
冷たい声が、八千夜に向けて放たれる。全身を打たれたように、八千夜は瞳を揺らした。
「・・・・・・・・・な、ぜ? おぬしがここにいるのだ・・・!?」
「さぁな、“声”にでも訊いてみろよ。ボクの口から言うとするなら、ただの『気まぐれ』だ」
風が吹き、ざわざわと葉が揺れる。月明かりが反射して、千影の瞳が闇夜に輝いた。闇夜で色の深みを増した翡翠のような瞳は、にっと細められる。
「ボクはあんたが嫌いでね。ちょっと嫌がらせにきたのさ」
「・・・・・・消えて、いなかったのか」
「あんたを知る奴は、九尾の狐以外もう消えたとでも思っていた? はは、侮るなよ」
猫のような千影の目が、はっきりわかるほど楽しそうに細められた。口の端も上がる。
「人間になれて、良かったじゃないか。あんたの望みだったろ?」
「儂は、過ちを犯した。・・・・・・・多くの者を不幸に至らしめた。望みではない」
「でも願った。星桜之雪に」
残酷な言葉が、楽しそうに千影の口から吐き出される。胸を抉るような衝撃に耐えるために八千夜は唇を噛んだ。それを見て千影は首傾げる。
「うん? ――悔やんでるのか? 『柱』の位を投げ出した金剛天狗。自らが人間となるために、大事なものを失ったことを?」
楽しげな千影の言葉。八千夜は、金の瞳で見上げるように千影を睨んだ。
「それ以上言うな。おぬしといえど、許しはせんぞ」
「そんな権限、あんたにあるかよ。鴉にすら見放された天狗が、図に乗るな」
千影は枝の上で立ち上がった。光に照らされた漆黒の髪が風に舞う。左頬に描かれた二本の朱色の紋様が、見間違えることなくあった。
「ボクが何故、あんたの前に姿を現したか。わかる?」
「・・・・・・・知るはずも無かろう」
「ちょっとは考えろよ。・・・・・・・・ま、良いことをしに来たわけじゃないけどね」
八千夜は、拳を震わした。
「神からの伝言と、告知に来た。『“柱”のけじめを務めよ』。それと・・・・」
千影は翼を羽ばたかせた。黒い羽が数本、八千夜の元に落ちる。
「・・・あんたの願いは、何だったか思い出してみな?」
「・・・・なんだと?」
「人間になりたい、それだけだったか?」
―――お願いだ! 儂をヒトにしてくれっ、そして・・・・!
ザッと八千夜は頭から血が落ちたような気すらした。辺りに不幸を振りまき、八千夜は人間として再びその存在を得た。ならばきっと、もう一つの願いも。
「まさか・・・・っ」
「後は自分で考えなよ、――きっとその予想は外れてないけどね」
焦ったような八千夜の姿を満足そうに見て千影は飛び上がった。
「あんたに残された寿命は、一年だ。それまでせいぜい、せっかく叶った人間の生活を楽しめばいい。・・・・・どうせ何も待っていないのだから」
心臓が、壊れんばかりに鳴る。八千夜は叫んだ。
「待てっ。清秋は、生きているのか!? 今もこの世に、生きているというのか!?」
「一年後に、全てがわかる」
そう言って、千影は闇に紛れて姿を消した。舞い落ちる黒い羽だけを残して。
八千夜の瞳には、千影の翡翠の瞳が焼き付いていた。日中はエメラルドのような輝きを携えるそれだが、闇夜では翡翠のように煌めく。ずっとずっと昔から変わることなく。数少ない記憶、そして愕然とする事実を突きつけられたと自覚する。
掌に二つの魅縒り石を集め、子供の姿に戻る。誰にも知られずに、八千夜は泣きそうな顔を夜空に向けた。
「・・・・・・・・一年、か・・・」
全てが奪われるまで一年間の猶予がある。
千影の言うように、残された人間の時間を有意義に過ごそうと八千夜は心に決めた。
誰にも言わず、気付かれず、いつも通りにみんなといよう。
それが『柱』を放棄しようとした者の、責任だから。
―――優しい風だけが、八千夜を慰めるように哀しく啼いた。
* * * * *
次の朝日が昇った時。春日はこれで全てだという十数人の妖狐属を振り返った。
「土蜘蛛との交戦、ご苦労だった! これより妖狐属は再び各地に散りばり、各々の生き方を選べ。俺はこいつ等と行く。――――俺を信じ、俺に付いてきてくれたお前達には、最大級の感謝と賛辞を送る・・・・・・・・仙狐九尾の名の下に、お前達を誇りに思うぞ!」
再び立ち直った妖狐属は、歓声を上げた。怪我をしている妖狐達も、その怪我を勲章としてこの世に在る。
春日を敬い、信じ、奉り。その美しさと気高さに惚れ込んだ者たち。彼らが消えるのは、春日が消えるその時だけだ。
「・・・・・・お元気で。春日様」
夕楊が微笑んだ。春日も微笑んで「ああ」と頷く。そして、夕楊の後ろで背中を向けている來軌を見た。
「お前も。夕楊にあまり心配を掛けるなよ」
「・・・・・・・・・俺はもっと強くなる」
「うん?」
「だから、いちいちアンタに守られないですむくらい強くなる。だからアンタはどっかで隠居してろ」
「あー、素直じゃなーい。大将を認めてるクセにー」
シズクがひょっこり顔を出した。來軌は舌打ちする。それらを苦笑して見ていた春日は肩をすくめた。
「ま。お子ちゃまに何言われても何ともないですよ。泣かされたら、いつでも来なさい」
「・・・・コロス! この野郎!!!」
一気に沸騰したかの如く怒る來軌は雷来葬槍を構えた。それを夕楊とシズクが宥めて止める。
「くくっ、あーおもしれぇ。やっぱ子供だなー」
「おぬしは大人げないな」
呆れた八千夜の言葉も何のその。「これが俺たちの日常だ」と妖狐属の大将は笑った。
「ったくもー・・・・。さぁ、送るわ。あの池まで」
シズクがくすっと微笑んだ。八千夜と宗方は、その言葉に自然と身構えた。
形を定めない水の塊が側の泉から引き寄せられる。そして、それに八千夜、宗方、春日が包まれると。
―――――その場に居たシズクを含む四人は、あっという間に消えた。
そのまま蒸発していく水を眺めてから、妖狐属もまた各地に散った。
妖狐属の絆を抱き、強く気高く美しい大将を誇りに思って。
その存在のある限り、彼らもまた人間の世界に在り続ける。
「あー・・・・オレどうすっかなぁ」
「ん? 何がだ來軌?」
その場に残った二人――來軌と夕楊――は、乱れた元妖狐属の集落で語り合う。
「夕楊さんは、どうするんすか? また山奥に戻って修行を繰り返すんですか?」
「・・・・・・・どうしたんだいきなり。お前らしくないな」
「いえ・・・オレ、戦うの好きだし、修行も嫌いじゃないんですけど。しばらくやってみたいことがあって」
「ほう?」
楽しそうな夕楊の声に、來軌はちょっと躊躇う素振りを見せた。
「その・・・・ちょっと街に下りてみようと思って」
夕楊は思いがけない來軌の言葉に目を丸くした。來軌は唸ってますます俯いた。
「えーっと・・・・・・大将の真似じゃねぇけど・・・。人間との共存も考えるなら、見ててもいいかなぁ、と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・思いまして。―――それで」
「―――なるほど、うむ。ならば自分も行こう」
「しばらく斬り込み隊長としての役目も不要でしょうし・・・・・・・・って、ええっ!!?」
大げさに驚いた來軌を見て夕楊は首を傾げる。
「自分が一緒では、迷惑だろうか?」
「い、いえっ。そうじゃないッすけど! え!? だって、いいんすか!?」
「何がだ?」
はて、と首を傾げる夕楊。來軌は一人で慌てている自分にまた慌てながら、舌足らずに言葉を探す。
「い、一緒?」
「・・・・・・・・・・・・ああ、うむ。かまわんだろう? 自分は雄の変化を続けるよ」
「夕楊さんがつらくなければ、それでいいんですけど」
心配そうに問う來軌に、夕楊は傷の付いた目を隠すように髪をかけた。そのまま傷に触れる。
「自分の変化は、すでに呼吸のようなものだ。今更負担にはならない。お前は迷惑か? 自分がいると邪魔なら・・・・・・・・・」
「いえ! 大歓迎です!」
自分を慕ってくれる斬り込み隊長に微笑みかけて、夕楊は朝日を見上げた。鼻が利く獣の夕楊は片目でも不自由はないが、その片目でも残って良かったと心底思う。無ければこの朝日の美しさは拝めない。
大将が見てきた人間というものがどういうものか、八千夜と宗方を見てもっと気になった。彼らとの共存を、考えてみる。悪くない。
「本当に、太陽みたいな方だ」
全てに等しく、隔てりなく、光を与えるのだから。
(切に、願う)
――――不変のあやかしたちに敬愛を。消えていく彼らに哀悼を。
――――そして『先(みらい)』を担う人間達に、栄光を。
(全ては森羅万象の御心に・・・・)
自分は、此処にいる。
その事実を『世界』に感謝して。
* * * * *
移動で濡れた服や髪も、春日の炎と八千夜の風で乾かして。
「またね、みんな」
シズクだけ池に浸かりながら、片手を振る。
「ああ。世話になった」
磁場で人間を寄せ付けず、稀に訪れる子供だけを泣く泣く溺れさせて存在を固持してきた水神は、『妖狐属』という分類とあやかしに存在を認めて貰うことによって、子供を迷わせここに来させないで済むことを大いに喜んだ。
「祠も狛犬も、ずっとずっと昔の人間が建てたモノ・・・・・もう何を祀っているのか、知っているヒトはいないわ」
でも貴方達があたしを知っている。だから、ここにあたしは居る。
シズクは、恥ずかしそうに嬉しそうに、顎を引いて静かに笑った。
「改めて、お礼を言わせて。・・・・ありがとう。貴方達には、本当に感謝している」
「そう言うな。儂とて、お主に会えたことを嬉しく思っているぞ」
妖狐属特製の、妖狐の毛を編み込んで作った縄を使って勾玉型の魅縒り石を首からかけている八千夜。身を翻したら、仄かに揺れた。二つの魅縒り石がぶつかり、かちゃりと鳴る。
少し離れた場所で煙草を吸っていた宗方は、シズクに軽く手を挙げてからくるりと背を向け歩き始める。その後に続くように、春日と八千夜も歩き出した。
「またな。用なんか無くても良い、今度はお前が来いよ」
大将、春日の気軽な言葉に、シズクもまた頷いた。
と、そこへ。
「玉藻様―――――ッ!!!」
高い声が、明神池に響いた。そして、聞き慣れた声も。
「あっ、おーい! 兄ちゃーん、八千夜くーん、春日さーん!!」
「・・・・頼正!」
駆けてくる懐かしい頼正の姿。しかしその前を弾丸のように走る仔猫のほうが気がかりだった。黒い弾丸のように、仔猫は春日に突進した。春日はそれを受け止める。
「んー? おう、凛鈴(りんりん)! なんだよ久しぶりだな」
「お久しゅう御座います玉藻様! あ、違った。春日様だった」
凛鈴と呼ばれた黒い仔猫を抱いて、春日の顔はほころぶ。大人が子供にするように高い高いと頭上に掲げて、仔猫は二つに別れている尾を春日の顔の前で揺らした。その間に、頼正は八千夜と宗方の前に駆けて来た。
「ネロに案内されて、此処まできたんだ。アレ? 戦いは? 終わっちゃった?」
「お前どこで聞いたんだよ」
「ネロ?」
疑問符を浮かべている三人と、展開に付いていけないシズク。そして、戯れる春日と黒猫。黒猫は、春日に顔をすり寄せて口を開いた。
「凱旋、心より歓迎致します! 戦には間に合いませんでしたが、彼の者が『神託』を受ける事実を伝えに参りました」
「・・・・・・・なに?」
春日は、首を巡らせた。
「あの小僧、頼正は、神の祝詞を聞ける逸材です」
頼正を指して言うその言葉に、春日は驚愕の瞳を揺らせた。
「・・・・・・・・なんだと・・・・!?」
「ネロ〜、ちょっとこっちにも紹介させてよー」
「うるさい黙れ。馴れ馴れしいと言ってるだろうが」
頼正は肩をすくめて、黒猫を指さす。「あの傍若無人なドクターの飼い猫。ネロね」と、諦めたように八千夜と宗方に説明した。春日は、自分の焦燥に気付かれないように顔に笑みを乗せ、ネロを抱いたまま頼正の方に近づいた。
「ネロ? 凛鈴のことか?」
ネロは嬉しそうにしながら、補足する。
「吾は今、医師フクロウのもとにおります。フクロウに授かった名がネロです。春日様はどうか、お変わり無く『凛鈴』とお呼び下さい」
「どちらの名も、吾の大切なものです」と、黒猫は笑った。猫が喋るという事実にさえも驚かなくなった自分にある意味感心しながら、宗方も紹介をした。存在の固執を求めている水神を、知るものが増えるのが悪いことであるはずがないだろうと思ってのことだ。
「頼正、ネロ。あっちで呆然としているのがこの池に棲む自称水神のシズクだ」
「・・・・・・・・・・よ、よろしく」
おどおどと片手を上げるシズクをみて、頼正はにぱっと笑った。
「初めましてー、弟の頼正です」
人懐っこい笑顔でぺこりとお辞儀する頼正を見て、シズクは呟いた。
「・・・・・・・・・・・・・・誰の、弟?」
「俺」
自らを指さす宗方と、宗方を指さす頼正。シズクは大きく仰け反った。
「うそぉ! こーんな良い子が宗方くんの弟!?」
「どういう意味だ!」
「その通りの意味だと思う」と春日と八千夜は心の中で呟いた。その考えを読み取ったかのように宗方が睨んだので、春日はごまかすようにネロの毛並みを撫でた。
「凛鈴は妖狐属の中で一番若い、『ネコマタ』だ。まだ変化も出来ねぇんだよな〜」
「いずれ出来るようになりますっ」
拗ねるようにそう言うネロを見て、頼正は本音を呟いた。
「・・・・・・・・・僕の時とは、えらく態度が違うなぁ。・・・猫っかぶりだ」
実際、猫だが。
頼正は諦めたように嘆息すると、気持ちを切り替えて宗方の方を見た。
「兄ちゃん、おかえり。・・・・・・・僕もそろそろ、帰るよ」
「おう。なんだ、黒太郎とのけじめはついたのか」
「うん、つけた。僕はもう、泣いてるだけじゃない。八千夜くんの魅縒り石を探すのを手伝うよ」
頼正は力強く微笑んだ。真っ直ぐに宗方を見上げる。
「今度は僕が守るんだ」
何を。誰を。そんな無粋なことは宗方も訊かない。
ただ、手を頼正の頭の上に伸ばした。かける言葉を少し考える。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おかえり」
「うん、ただいま」
躊躇うように宗方が言ったので、頼正は嬉しそうに笑った。
「魅縒り石だけどよぉ」
春日が口を挟んだ。八千夜と顔を見合わせる。
「まだ全部じゃないんだろ?」
「ああ、まだ足りない。・・・・・ちょうど、この勾玉のもう一つ分ほど足らぬ」
ちゃりっと勾玉型の魅縒り石を握る八千夜を、頼正は首を傾げて見た。宗方はお互いの説明不足と状況理解のために、手を振って中断させた。
「あ〜待て待て。頼正に話すのも、頼正の話を聞くのも帰ってからだ。・・・なんか雨が降りそうだし・・・・・・」
言ったそばから、雨粒が宗方の鼻の頭に落ちて弾けた。ぽつぽつと雨が降り始める。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜最悪! おい、帰るぞ」
もう濡れたくない、とばかりに宗方は苛立たしげに言った。
「ごめんねぇ、行ったことある場所なら送れるんだけど」
のほほんと雨水に濡れて心地よさげにしているシズクは、ばたばたと走り出した四人と一匹に手を振った。
「またなシズク!」
「今度ウチに来い! いざって時に送れるように!」
「兄ちゃん図々しいー・・・。いたっ、ててゴメン! 今度ゆっくり話しましょうシズクさんっ」
「世話になった。―――ありがとう」
ネロを抱いた妖狐属の大将である春日、湿度の高さと雨に苛立ち気味の宗方、余計な事実を言って宗方に耳を引っぱられた頼正、ほのかに笑った金剛天狗の八千夜。
シズクは彼らが見えなくなるまで手を振り続けた。そして、静かになったその池に雨が落ち、波紋が広がり始める。
「・・・シズクちゃんの、雨占いー」
至宝の皿を取り出して、雨水を溜める。溜まっていく雨水に広がる波紋を見て、シズクは嬉しそうに笑った。
「『後日良好。待ち人来たらず。願うなら実行。二度目の出会いは近い』♪」
再会の日は、近い。
シズクは微笑んで、ちゃぷんっと水の中に頭を沈めた。