『外伝4 秋 〜刻限〜』
がんがんと宗方がお玉で鉄鍋を叩いた。
「おい野郎共―、飯出来たぞー」
本日の早朝食事当番の宗方が、まだ寝ている同居人達に声を掛けた。家事は分担、炊事洗濯は当番制。しかし春日はともかく八千夜はまともな食事経験自体が少ないため、まともなものが作れないので食事当番はない。一度作らせたら、砂糖と塩は間違える、手順が悪い、指を切る、ボヤ騒ぎ、キッチン崩壊と散々な事態になった。以来、周りの方が頼んで作らせたことはない。
「・・・・おはよー」
「おう、頼正。・・・・・・・・・・・・他は?」
「? まだ見てないけど」
「起こしてこい。今すぐ起きなかったら飯はないと言え」
「はーい」
寝起きの良い頼正は元気に返事をして、各部屋に向かった。とりあえず近い方――八千夜の部屋へ。
「八千夜くーん、起きてるー?」
扉をノックすると、すぐに八千夜は扉から出てきた。
「うむ、おはよう頼正」
「うん。すぐ顔洗ってリビング行かないと、兄ちゃん待ってるから。僕は春日さん起こしてくる」
とてとてと次は春日の部屋へ。
「春日さーん・・・・・・・・・・・春日さん?」
ノックでも返事がないので、扉を細く開けた。
「起きてくださーい。すぐ起きないと兄ちゃんが怒るよー、朝ご飯食いっぱぐれるよー?」
「・・・・・んぅ・・・? 要ら、ない・・・・・・メシ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・寝る」
八千夜と対照的に寝起きがあり得ないくらい悪い春日。心地よさそうに寝ているので、頼正はどうしたものかと思いながらとりあえず扉を閉めた。一人でリビングに戻ると、それを見咎めた宗方は眉間にしわを寄せた。
「・・・・・・・・・春日は?」
「眠いみたい。ご飯要らないって」
頼正がそう言った途端、宗方は椅子から立ち上がった。そしてつかつかと春日の部屋に向かって行き、乱暴に扉を開けた。
入っていくのを頼正と八千夜は黙って見守った。微かに会話らしきものが聞こえたが、少し経った後に轟音が聞こえた。――ついでに悲鳴のようなものも。
宗方が腹立たしげに出て来て椅子に座った頃、よろよろと春日も額を抑えながら出てきた。
「・・・・寝かせてくれよ・・・・、せめてもう少しソフトに起こしてくれ・・・・」
「うるせぇ。人が早起きして作ったメシを、要らねぇとはどういう了見だ」
作る前に言った分しか認めない。作ったからには食わせる。
春日は洗面所に行って顔を洗うと、ふらふらとまだ半分夢の世界に浸りながら歩いてくる。
「オーイ、もう一発いくか?」
「・・・・・・お前、その怪力で、本気で殴るな。さすがに結構、痛い」
拳を作ってそう言う宗方。春日は頭を押さえながら、もう片方の手を振った。
「どこか調子悪いの? ・・・・あやかしでも、調子悪い時あるのかな」
頼正は後半の自問には首を傾げながら、春日に問うた。
「・・・・・・んー・・・・・・・・・・・・いや、ここ数百年、寝たり起きたり、ほとんど寝てたから、・・・癖になってんだよ、体が」
「良い機会だろ。いい加減、不摂生を正せ」
仕事の追い込みをする時の宗方を知っているので説得力がないが、眉間にしわを寄せながら宗方は茶碗にご飯をよそう。純和風の朝ご飯が、美味しそうに四人分並んでいる。自炊生活が長かった宗方と頼正は、和食に限りおおよそが作れる。最近は洋食のレパートリーも増えてきた。
「・・・・・・・・・オイ八千夜。お前もさっさと座れ」
朝食を見たまま立ち呆けている八千夜を見て、宗方が言った。しかし。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・い」
「あ?」
「・・・・要らぬ!!」
八千夜は顔面を真っ青にして、逃げるように全速力で玄関に向かい、外に駆け出ていった。
「・・・・・・・・・は?」
そこに残された三人は、一瞬ぽかんと口を半開きにした。そして、玄関の扉が閉まる音を聞いてから、ゆっくり首を回して朝ご飯を見る。
赤味噌仕立て麩と葱の味噌汁、漬け物、ほうれん草のお浸し、魚の塩焼き、白い炊きたてご飯。どれも、八千夜は今まで普通に食べていたはずだ。好みで納豆もあるが、これはあまり八千夜は食べないので八千夜の分は用意していない。だが見るのも嫌というほどではなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうしたのかな八千夜くん」
「メシも食わねぇまま、飛び出していったな・・・・・」
頼正と春日の呟きは、宗方の無言の怒気にかき消される。はっと振り返ると、宗方は額に青筋を浮かべていた。
「あンのクソガキが・・・! 誰がメシ作ったと思ってやがる! 二度と食わせねぇ!」
『要らぬ』と完全に拒否して逃げ出した八千夜の態度が逆鱗に触れたのか、宗方が手に持つ茶碗にヒビが入った。
慌てて頼正は握りつぶさないうちに宗方の手から茶碗を奪還する。
「ちょっ、兄ちゃん落ち着いて。八千夜くん捕まえて事情聞こうよ!」
「なんか苦手なモンがあったとか」
朝から不快な思いをした宗方は、くるりと自分が作った朝食を見回して確認した。
「・・・・・・あいつに好き嫌い、あるのか? どれも今まで普通に食っていた気がするんだが」
「うーん・・・・・・・・・」
「昔からあんまり自分のことにすら興味ないやつだからなぁ、俺も知らねー」
「・・・・・・・・・・・・」
憮然としないまま宗方は席に着き、箸を持って黙ったまま食事を始めた。気まずい空気が流れ、頼正も小さく「いただきマス・・・」と言ってぎくしゃくとご飯を食べる。春日は、普通に美味しい朝食を食べながらすっかり覚めた眠気のことも忘れ、心中八千夜を恨んだ。
(朝から気まずい空気だけ残してんじゃねー!)
何も言わないが、宗方から怒気が見える。
「・・・・・・・・・・・・・おい」
宗方の目が、春日を睨んだ。
「うっ、なに・・・?」
背筋を正して春日はおそるおそる宗方の方を向いた。宗方は半眼のまま箸を置いて、春日に尋ねた。
「お前、嫌いな食いもんあるのか」
「俺? 別に・・・・・・・逃げるほど嫌いなものは、ないな。好きな物ならあるけど」
「?」
頼正が咀嚼しながらそれが何か目で問うと、春日は頼正の視線に気付いて答えた。
「いなり寿司」
「・・・・・・・・油揚げだろ」
「それも好き」
口を挟んだ宗方にそう言って魚の解した身を口に放り込み咀嚼する春日。「ふぅん」と呟いて食事を再開する宗方を見て、春日は考える。
(・・・・・・・・・・・・・もしかして、怒ってるんじゃなくて)
落ち込んでいるのか? 似合わなさすぎて考えにくいが。
八千夜の前に残された一人前の食事を見て、春日は「らちもない」と食事に専念した。
一方マンションから全力で駆け出てきた八千夜は、乱れた呼吸を落ち着かせながら流れた汗を拭う。この汗は冷や汗かも知れない。一瞬で背筋が冷えた。
「・・・・しまった、宗方に悪いことをしたな」
しかしアレは。アレだけは。
しばらく家に帰る気もしない。さてどうするか。
八千夜は立ち止まってしばし考え込んだ後、宛もなく歩き始めた。
* * *
「すいませーん」
「お? いらっしゃーい。珍しいな、お前らで来るなんて」
頼正と春日は、午前中に梟クリニックを訪れた。
「ちょっとね。ねぇドクター、八千夜くん来てないかな」
「いいや? なんだ喧嘩でもしたのか?」
「そうじゃないんだけど・・・・」
「行方知らずでな、捜してるんだ」
春日の気配に敏感に察知したネロが春日の肩に跳び乗る。そしてフクロウに聞こえない程度にネロは春日に耳打ちした。
「春日様。あの天狗を捜すのなら匂いを追えばよいのでは?」
「んー、魅縒り石を取り込んでないと人間と同じだからなぁ。人混みに紛れられるとちょっとわからねぇんだよ」
こそこそと会話する春日とネロを後目に、頼正はフクロウに苦笑して手を振った。
「じゃ次捜します。八千夜くんが行きそうな場所も限られてるし。もし来たらウチに帰るよう伝えて下さいね」
「なんだなんだ慌ただしいなー。また来いよ」
春日からネロを譲り受け、フクロウもまた手を振った。
次に向かうは占い通り。
「アラ? お久しぶり」
「シズクさん、八千夜くん見てませんか?」
緑の髪を結い上げ、耳や首に飾りを付けて水晶の前に座ってそれっぽい空気を醸し出すシズクは、可愛らしく首を傾げて尋ねた。
「人捜し? 占おうか?」
「いや、見てなければいい」
春日がそう答えると、シズクは微笑んだ。
「八千夜くんは見てないけど。夕楊さんと來軌くんは見たわよ」
「え!?」
「なんだ、あいつらまで山下りているのか」
春日が腕を組んで言うと、シズクは意外そうな顔をした。
「大将、聞いてないんだ? 後で挨拶に行くとかなんとか言ってたけどね。なんでも人間と共存してみたいとかで、変化してこの辺りに住んでるらしいですよ」
「ふーん」
春日が曖昧に相づちを打った途端、近くで叫び声が聞こえた。
「あー!!? なんでてめぇら此処にいるんだよ!?」
「お久しゅうございます。春日様」
やはり学ランを着て(鉢巻きはしていなかったが)、見た目の年齢的にも性格的にも学生に見える來軌。金髪で口も悪いので來軌を知らない一般人なら正直あまりお近づきになりたくない不良学生と言った体だ。
深々と礼をした夕楊はやはり男の変化をしていた。洋服はやはり慣れなかったのだろう、着物の上に羽織を着て、若いのに落ち着いた風情を醸し出していた。美顔と言えるその顔は、半分包帯で包まれていた。左眼に包帯を巻き、その白が真っ赤な髪に映えている。
「おう、お前ら。・・・・・・・夕楊なんだその包帯は」
「傷がそのまま出ていたら、怖がられたので」
包帯の方が目立つと思うけれども。反応はマシになったので。
蜘蛛の毒爪に裂かれた傷は、癒えても消えることはない。潰された目と瞼の上を縦に一本、痛々しく傷が付いている。これは一生薄れることもない。
「・・・・・大将、黒犬と何してんだ? 白犬はいねぇのか」
來軌の言葉に頼正は苦笑した。犬神憑きと知ってから、來軌は頼正と宗方を『人間』ではなく、『黒犬』『白犬』と呼ぶ。もしくは『黒』『白』。名前で呼んで欲しいなぁとも思うが、宗方が來軌のことを『カミナリ』と呼ぶのでどっちもどっちである。
「兄ちゃんは、留守番。あ、八千夜くん見てないかな」
頼正が問うと、來軌と夕楊は顔を見合わせた。
「・・・・・・天狗?」
「八千夜様なら・・・・・」
「! 見たのか」
夕楊が前方、つまり頼正と春日の後ろを指さした。
「あちらに居られましたよ。何やら年のころに相応しい女性たちと一緒でございましたが」
もちろん外見の、ですが。
夕楊の忠告も聞きつつ、頼正と春日は顔を見合わせた。
・・・・・・・・女?
八千夜の外見年齢と同じくらいの、女達とは繋がりは一つしかない。
* * *
宗方にどうやって謝るべきか考えながら街をウロウロと歩いていた八千夜は、ふと公共の植え込みの近くを通ったときに偶然クラスメイトの女子に発見されたのだ。
「あ、ちーちゃん!」
「ちょうど良かった!」
八千夜と頼正は二人とも『犬上』と言う姓を名乗り、共に同じクラスであるためクラスのメンバーは名前で二人を呼んだ。因みに『ちーちゃん』とは八千夜の千から来ているとか。
――――うーん、『頼正くん』と『八千夜くん』?
――――なんか堅いなぁ。『よーちゃん』と『やーちん』とか。
――――それもなんか雰囲気に合わない気がする。よ・・・よよよ、『よっちゃん』。
――――なんかそんな駄菓子あるよな。
――――ああ、イカだろ。じゃなくて、やー、や・・・いやいっそ後ろから『千夜ちゃん』。
――――『ちーちゃん』かぁ。あ、可愛いかも。
じゃあそんな感じで。
好きにしてくれ、と頼正と八千夜は肩をすくめた。
制服ではなく私服で、どこかに出かける途中だったのだろうか、お洒落に決め込んだ女子三人が、木陰で困ったように顔を見合わせていた。声をかけられたので八千夜は植え込みに入っていった。
「どうかしたのか?」
「お願い! ちーちゃん身軽だよね!?」
「「この子、助けて!」」
「・・・・・は?」
女生徒の手の中には、羽を負傷した小鳥が収まっていた。
「わたしたち買い物に行く約束してて、ここで待ち合わせしてたんだけど」
木の下で儚く鳴く小鳥を発見したらしい。
「きっと巣から落ちたんだと思うんだけど・・・・」
「わたしたちじゃ巣に帰してやれないから困ってるの」
哀しげに言う女の子達の格好を上から下まで見て、八千夜は納得した。
丁寧に編まれたりワックスやピンで飾った髪。シズクが着ているような可愛らしいスカート、時期に合わせた底のついたブーツ。
八千夜は服装を見て(これでは無理だろうな)と思ったのだが、実際は現代の子供の体力低下も伴っている。
「なるほど。状況は解った」
今度は、木を見た。枝があるのは少し上だが、表面が凸凹なので登れないこともない。巣があるのはさらに上のようだが、天狗の八千夜が怖がるような高さではなかった。
少女の手の中で鳴く鳥を見た。まだ小鳥だ。餌もろくに取れないような。
しかし、自然の摂理という見方をすれば、此処で助けるべきではない。それがこの鳥の『運命』だったのだから。
――――今ここで、死ぬことが。
か細くなく鳥は、親を求めている。そうだ、腹も減っているだろう。
そして羽はまだ小さい。あの大空を自分で羽ばたいたこともないのだ。
八千夜は鳥と自分を重ねた。空を舞う心地よさを知ってからでも、良いのではないか?
「・・・ちょっと離れてくれ」
「え?」
気付いた三人の一人がきょとんとした鳥をもつ子を引っぱった。
木までの間を少し駆け、木の腹を蹴って二度跳びし、枝を掴んで回転し体を押し上げた。
女の子達は類い希な八千夜の身体能力に歓喜の声を上げた。八千夜にとってはなんてことはないので、冷静なまま下の女の子に手を伸ばした。
「帰してくるから」
女の子は微笑んで頷き、そっと小鳥を渡し、礼を言った。
「落ちないでねー!」
「気をつけて」
小鳥を優しく抱き、少女達の言葉を聞きながらも八千夜は枝を掴んで少しずつ巣を目指した。高さに身が竦む心配も八千夜にはない。木登りが得意というわけではないが、下手ではないようだ。
手が届く範囲までたどり着いた八千夜は、そっと小鳥を巣に戻してやった。巣にはその子の他に四羽、口を開けてピヨピヨ鳴いている。親の餌を待っているのだろう。
微笑ましくそれを見た八千夜のもとに、その親鳥が運悪く帰ってきてしまった。
「・・・ぅわっ」
奇声を上げて翼を広げ、威嚇する親鳥はその鋭い爪で八千夜を押し返し、嘴で突こうとした。
「ちょっ、待て・・・!」
顔に向かってきたそれを腕で庇って後退し、しかし親鳥の攻撃は止まずに八千夜は慌ててその枝から下りた。
鳥に嫌われることにまだ慣れていない八千夜は驚きながらも、親鳥としての立場も考慮すると自分じゃなくても突かれていたな、と苦笑した。
「ちーちゃん、大丈夫―?」
下からの女の子の言葉に、手を挙げて応えたとき。
・・・やはり運の良くないことに。鴉がぶつかってきた。今度は確実に悪意が籠もっている。
「っと」
蹴られた痛みを背に感じながら、八千夜はバランスを崩した。それでも八千夜が慌ててなかったのは、翼を出せば良い、と常識のように考えていたからだ。
だがその考えも、実行の直前に悲鳴をあげそうな女の子達の顔を見て、思いとどまった。
(しまった。翼出せない・・・!)
服の下で、魅縒り石は揺れているというのに。
落下途中で考える。掴まる枝なんてないところを真っ直ぐに落ちるくらいなら、せめて足から落ちて衝撃と屈伸を合わせれば、悪くて骨折くらいで済むだろう。翼を見せるわけにはいかなかった。
少女達の息を呑む声が近くで聞こえ、八千夜は衝撃に身構えた。
「―――八千夜くん!」
だが地面にぶつかる直前。駆けてきた頼正が、滑り込んで間に合った真下で八千夜を受け止めた。足から落ちたのを先に掴まれ、角度的には少々頭の方が下となって八千夜の落下は止まった。
「大丈夫?」
「・・・・・・・・・・よ、りまさ・・・?」
衝撃が来なかったことに驚いて、八千夜は戸惑い気味に呟いた。驚愕の瞳は笑っている春日も捉え、一気に半眼になった。
「間抜け」
ニヤニヤと笑う春日に八千夜は嫌そうに言った。
「・・・・・・・黙れ」
渋面を作る八千夜と頼正の周りに、女の子達が集まった。
「大丈夫ちーちゃん!?」
「よっちゃんも・・・っ、怪我は!?」
「あ、全然平気。よっ」
頼正は楽々と八千夜を持ち上げて地面に下ろすと、手を振った。身長は八千夜の方が少し大きいくらいだったが、おなじみ犬上家の怪力をもってしたら余裕である。
もちろんそんなことを知らない少女達は、驚きっぱなしだった。頼正が怪力であるというそぶりすら見たことがなかったので、信じられないものを見たといった顔だ。
(・・・・怪力隠しとけって言われたけど)
今の場合はしょうがない。たぶん。
何か言いたそうだが何も言えないでいる少女達に、地面に座った八千夜は促してやった。
「鳥は帰してきた。・・・・おぬしら、物を買いに行くのではなかったのか?」
「あ、そうだった!」
それをきっかけにバタバタしだした三人は、改めて八千夜に礼を言った。
「ありがとうちーちゃん! 巣の話とか、また学校で聞かせてね!」
「よっちゃんもアリガト!」
「「今度そっちの格好いい人紹介してネー!!」」
『そっちの格好いい人』、春日は極上の微笑みとともに少女達に手を振った。少々顔を赤くしながら、少女達は手を振り駅の方へ走っていったのだった。
「何してんのかと思えば。天狗が木から落ちるのかよ」
「・・・・・・・翼を見せるわけにいかなかったからだ」
八千夜が木の上にいる鴉を睨むと、鴉は顔を逸らして飛び立っていった。はぐれ扱いの八千夜は、鴉にとことん嫌われている。
はっ、と八千夜は背後の二人が腕を組んだ気配を感じた。
「さーてと。八千夜くん、兄ちゃんがご立腹なんだけど」
「朝から気まずい空気をありがとう」
思い出して冷や汗を掻き、八千夜はそっと振り返った。二人はいつものように笑っていたが、有無を言わせる様子はない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すまぬ」
むんず、と頼正と春日が八千夜の腕をそれぞれ掴んだ。
「僕たちじゃなくて兄ちゃんに謝らないと」
「強制送還を命じられた居候なもんで」
「・・・・・・・」
連行される宇宙人よろしく、八千夜は半分引きずられてマンションまで送還された。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・で?」
床に正座している八千夜の前で、宗方は椅子に足を組んで座っていた。威圧的に、怒りも露わに腕を組んだ最初の一言が上記の通りである。
冷や汗を掻きながら、八千夜は俯いたまま小さく呟いた。
「・・・すみませんでした」
今回の件に関して、八千夜が悪い。宗方も頼正も春日も八千夜自身も、そう思っていた。
宗方は立ち上がって八千夜の服の首根っこを掴むと、引っ張り上げて猫のように運ぶ。何事かと思った八千夜は、連れられた先の目の前にあるものを見て引きつった声を上げた。
「うわーうわー!」
「・・・・だから何が苦手なんだよ」
テーブルの上には、朝食が一通り、そのまま再現されていた。
逃げ腰の八千夜を掴まえて、宗方はこの際はっきりさせようと朝食に近づける。
「さっさと吐け。一度目は許してやっても良いが、繰り返しあんな真似しやがったら泣かす」
体いっぱいの拒否を示している八千夜はすでに青ざめて半泣きだが、気になった頼正と春日も傍観に撤すことを止めた。
「どれが嫌いなの? 漬け物とか?」
「今まで普通に食ってただろ全部」
何が駄目なんだよ。
三人の視線など気にしていられない様子で、八千夜はソレを凝視して叫んだ。
「さっ、魚! サバーッ!」
「「「・・・・・・・・・・・・・・」」」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・サバ?
平皿の上に、魚の塩焼きもとい、鯖の塩焼きがこんがりとグリルで焼かれ載っていた。
「サバは・・・・サバだけは・・・・・・!」
青ざめて首を振る八千夜。ただならぬ事態に、頼正は首を傾げた。
「鯖・・・・・? ただの魚だよ?」
頼正が箸で掴んで八千夜の方へ向けると、八千夜は慌てて飛び退いた。
「ちょっ・・・止めんか頼正ァ!」
大暴れで自室に逃げ帰った八千夜を見送って、宗方はとりあえず煙草を銜えた。
「春日、火」
「・・・・・俺はライター代わりか」
そうは言いながらもきちんと火をつけてやり、春日は面白い物でも見るかのように鯖を見た。焼かれたものの八千夜に嫌われ残されたその白い目は何も映さない。
「そういや昔、『天狗避け』って人間の風習で鯖扱ってるのがあったなぁ」
その当時は鯖如きで逃げる者なんているのか? と不思議でたまらなかったがなるほど人間の方が天狗に詳しかったと見える。
「天狗に連れ去られたくなければ鯖を食えって子供に言い聞かせている親を見たときは腹抱えて笑ったもんだが」
思い出したのか軽快に笑う春日。つられて頼正も頬をゆるました。
「鯖だけなの? 他の魚は食べるしね」
「山に棲む天狗が食うとすりゃ川魚だからな。鮎か鱒か・・・くく、サバが苦手って」
頼正は笑いながらもサバの皿だけ遠ざけた。そして、宗方に振り返った。
「あんだけ苦手なんだからさ、もういいじゃん」
「あん? 別にもう怒ってるわけじゃねぇよ」
「じゃあ八千夜くん呼んでもいいよね。朝から何も食べてないし」
一匹余った鯖は、八千夜が居ないときに誰かが食べるってことで。
八千夜を騒がせた鯖は、食べられることなくそのまま皿に載せられていた。
頼正に促され、八千夜が項垂れて戻ってきた。おそるおそる宗方を伺い、もう一度謝った。
「・・・・・・・逃げたのは儂が悪かった」
テーブルの上から鯖が消えているのを見てほっと胸をなで下ろした八千夜。と、同時にきゅるると小さく八千夜の腹の虫が鳴いた。
「・・・・・・・鯖以外は、食べる」
いただきます。
そう言って八千夜はふと小鳥のことを思い出した。
あの小鳥は巣に帰って、親から餌を貰えただろうか。兄弟達と空を飛ぶ日はいつだろうか。
御飯を咀嚼し、八千夜はくるりと辺りを見た。頼正と、宗方と春日が居る。飛び出したら捜しに来てくれて、怒っても後で許してくれる。
―――自分も『巣』に帰ったようなものだろうか。
御飯を呑み込み、上手くなった箸使いをする右手を見た。色々教えられて、生きている。
―――そうだ、生きている。
八千夜も小鳥も。きっと小鳥があそこで助かるのも『運命』だった。
八千夜は思う。そして、自分がここから消えるときがいずれ来るのも『運命』だ。
(大切に、大切に)
今という時を大切に。
生きているという事実を大切に。
生かされているという事実を受け入れて。
『運命』の時が、来る日まで。
それまで続く、確実な幸せの保証を。
ただ、愛おしく、大切に・・・・・。
* * *
とある植え込みの大きな木にある小型の鳥の巣は乱れ、羽が抜けて舞い、血の跡が生々しかった。近くで鳴く大形の鳥の影が、木漏れ日の中なお濃く影を落としていた。
『運命』が変わる余地はないと、八千夜はきっと知らなかった。