23
『ハルヒVIP専用』と書かれたプレートがかかる個室の中で、とりあえず質の良いソファに深く沈んで腰掛けながら、宗方の機嫌はすこぶる悪かった。その隣にすり寄るように座って、ハルヒは宗方の前にグラスを置いて酒を注ぐ。不機嫌そうな宗方を見て、くすっと楽しそうに微笑んだ。
「そう怒るなよ。酒でも飲めって」
極上の美女からの言葉にしては違和感が生まれる乱暴な言葉だったが、ハルヒの正体がわかった宗方にはどうでも良いことだ。
「・・・こんな茶番に付き合わせるために呼び出したわけじゃねぇだろうな、春日。――あとベタベタすんな」
宗方はハルヒに向かって、確信を持って『春日』と呼んだ。
「あら、ハルヒって呼んで」
「気持ち悪いんだよ!」
「・・・・ちっ、なんだよ。ノリの悪いやつめ」
人気ナンバー1のハルヒちゃんをつかまえてさー。
おぞましいものでも見るかのように、宗方は密着していたハルヒとの距離を空けた。
「大体何が久しぶりだ。今朝も会ったじゃねぇか!」
登場したばかりの際ハルヒが放った言葉に対して、宗方はそう言った。
「しょうがねぇだろ。俺、人気ありすぎて一部の過激ファンが付いちゃってるから、『初めまして』じゃVIP待遇できねぇし、『また』とか使えるほどお前はこの店来てねぇし」
「二度と来るかこんな店!」
「・・・・そう大声出すなよ。俺は仕事中の設定なんだから。もう一人VIPが来るからそれまで待ってろよ」
「誰だよVIPって」
「紙飛行機を渡してある。――カモだ」
ふざけて仕事をしているのかと思っていたが、きっちり『情報収集』はしていたらしい。「どうだ」と満足げに笑い、足を組んだハルヒを見て――というか、そこから覗く白い足を見て――宗方はげんなりとした。
「・・・・・・・なんで女の格好なんだよ」
「あん? しょうがねぇだろ、カモが男だったんだから。夕楊みたく、俺も変化しているだけだ。・・・・・・・・でもどうよ? 美人だろ」
「あー、キレイキレイ」
投げやりにそう言って、宗方は自分に注がれていたワインをちびちび飲み始めた。
「最初(ハナ)っから説明されてりゃこう苛立つこともなかったのに」
「驚かせようと思って」
「・・・・・・」
お茶目に舌を出して笑う姿は、何も知らない者が見れば胸を高鳴らせて頬を染めるかもしれないが。中身が春日だとわかっている宗方は、どれだけハルヒを見てもそうなることはなかった。むしろ中身を知っているので、気持ち悪い。そんな宗方の心中を余所に、ハルヒは肩をすくめた。
「勧めておいて俺の仕事を把握していないお前が悪い」
「いや、『ホストとか向いてるんじゃね?』って冗談で言っただけだろ。なんでホステスなんだ」
「ホストはなー。客に金を出させる商売だからなぁ。女の子騙しているみたいで気が引けたんだよ」
「・・・・で、男から騙し取ることにしたと」
「男(ヤロー)は良いんだよ。つーか騙してねぇし、仕事してやってんだよ」
ハルヒが高飛車な一言を放ったとき、扉がノックされすぐに店の女の子が顔を覗かせた。
「失礼しまーす。ハルヒちゃん、紙飛行機のお客様がもう一人いらしたけど・・・」
その瞬間、ハルヒの表情は一変した。朗らかに微笑み、可愛らしく手を口元に添えた。
「ああ、はい。私が呼んだんです」
「あらそう? お出迎えよろしくね」
満面の笑みでそう答えたハルヒは、扉が閉められた途端に微笑みを企むような笑みに変え、宗方の方を向いた。
「――じゃ、ちょっと連れてくる。此処で待ってろよ」
すたすたとチャイナドレスをはためかせて、ハルヒは部屋から出て行った。残された宗方はワインを口に運び、『カモ』と称される男を同情した。
(絶対、騙してやがる)
なんだあの『奸計(かんけい)をしくんだ狐』の如きシニカルな微笑みは。
「ごめんなさい・・・私が勝手に引き合わせてしまって・・・」
「いやいいよ。ただ『紙飛行機』は、君と二人きり・・・と聞いていたからさ。ちょっと驚いた」
「・・・・・・・・・・・・・」
宗方はげんなりと目の前の茶番を見ていた。ハルヒはにっこりと微笑むと、美しい仕草で自分の隣に座る男に手を向けた。
「宗方。こちら私の常連さんで、有馬矩彦(ありまのりひこ)さん」
「・・・・・・はじめまして? むなかた・・・・さん?」
凄まじく嫌そうにそう呟かれたことは気にせずに、ハルヒは微笑んで宗方を有馬に紹介する。
「私の知り合いなの。有馬さんのお話があまりに面白いから、彼にも聞いて欲しくて」
ぞわぞわぞわ、と宗方の体に鳥肌が立った。
(気色悪い気色悪い気色悪い・・・! なんだよ『彼』って)
ハルヒの常連客。VIP待遇の紙飛行機を貰うほどハルヒに入れ込んでいる男。
(こんなとこに通い詰めるなんて、もっと人生涸れたオヤジかと思っていたが・・・)
有馬矩彦は、宗方の予想よりもずっと若かった。
肩に掛かりそうな髪を後ろで束ね、薄い色の付いたサングラスをかけている。若者らしく衣類(ここではスーツだが)にも装飾品にも気を遣い、飾り付けすぎないそれは嫌みどころか、この男によく似合っている。犬神の鼻で捉えうる限り、香水も付けているようだが不快ではない。ほのかに香る程度だろう。
有馬はじとーっと宗方を見ると、隣の座るハルヒの肩を引き寄せて耳元に尋ねた。
「・・・・・随分仲良さげだね。『彼』と」
(そいつは男だ!)
心の中で宗方が叫ぶが、当然有馬に聞こえるはずがない。あげくハルヒはわざとらしく足を組み替えて、有馬に抱きついた。
「妬いてるの有馬さん?」
「・・・・・・・・・少し。どういう関係だい?」
「関係も何も・・・・・」
宗方が扱く嫌そうに言いかけたのを、ハルヒが遮った。
「私たち同棲しているの」
瞬間的に、有馬の口元から笑みが消えた。
四人で同居生活をしていることは事実だが、今この場で、男女としてそう言うと意味が変わってくる。
「誤解されるような言い方すんじゃね・・・・!!!」
宗方が怒鳴ろうと口を開いたが途中で声が出なくなる。ハルヒを睨むと、指をちょいちょいと動かしていた。金縛りの一種を声にかけられたらしいと宗方が気付いても、有馬にはわからない。否定しない宗方を一瞥して、有馬は小さく呟いた。
「へぇ」
(否・定・さ・せ・ろッ!!)
口をパクパクと開ける宗方を見てニヤリと笑い、表情を変えてハルヒは有馬の顔を見つめた。
「・・・・・私はこんなに彼が好きなのに、彼は他のことに夢中で」
(アンニュイな溜め息ついてんじゃねー! 覚えてろよ春日ァー!!)
怒り心頭な宗方は眼中にないのか、有馬は口の端を上げてハルヒの顔に自分の顔を近づけた。
「じゃあさ、別れちゃえよハルヒ。・・・・代わりじゃないけど、オレじゃ駄目かな」
・・・背中がむずむずする。他人の告白なんざ鳥肌ものだ。
耐え難い空気に、宗方が眉をひくりと動かしたとき、ハルヒは唇を有馬の首に触れる直前まで近づけた。
「・・・・・そうね、二人を会わせたのはそれも少し考えたから・・・・・有馬さんが言っていた『風雲童子』って話が彼の最後のプレゼントになるかと思ったの」
「前に話したアレ? ――あんなのオレの田舎で口伝されていただけの昔話だよ?」
そっと手を握って、ハルヒは有馬に頼んだ。・・・・・それはもう宗方が体中を掻きむしりたくなるくらい演技を増して。抵抗するのは諦めて、宗方は煙草に火を付けた。抵抗するのも馬鹿馬鹿しい。春日に任せることにした。
「彼は民俗学の研究をしているのよ。もう一度詳しく、お願い・・・・・」
目を潤ませて、上目遣いで。絶世の美女がそうすれば、男は大概落ちるだろう。
(・・・・・しかし、この茶番劇はどうにかならねぇのか・・・)
何で俺が、女に逃げられた男役なんだよ。しかも女のほうが悪女だろ。
八千夜といい、頼正といい、春日といい。最近舐められている。
有馬は首を傾げて少し考えると、宗方を見た後にハルヒに視線を移した。
「キスして」
「え?」
「ハルヒがオレにキスしてくれたら話すよ」
一瞬間が空いたが、宗方は脳内で冷静に突っ込んだ。
(このバカ。自分で墓穴掘ってやがる・・・・)
キスをねだられるその美女の正体は、性悪であやかしで男だ。ハルヒも少し首を傾げて唸った後、アッサリと答えた。
「いいわよ」
(オイィィィ!)
もう帰してくれ。この空間は俺には異質だ。
頭が痛くなってきた宗方は、切にそう願ったがハルヒは演技中で宗方の意識などそっちのけだ。
「・・・目、瞑って欲しいな・・・・照れるもの」
ハルヒの甘い囁きに、有馬はゆっくり目を閉じた。有馬の瞳が瞼に覆われたのを確認して、ハルヒは整った爪を携えた美しい指を有馬の額に当てて言霊を紡いだ。そしてそのまま指を有馬の口元に持っていき、つぅとなぞった。
やはり本気でキスしてやる気はなかったらしく、幻術の一種で誤魔化した。
「・・・・・折角だから、思い出せる限り詳しく話そうか」
有馬はハルヒにキスされたと思っているのか変化がなかったのでよくわからないが、目を開いてハルヒを見つめた後に、宗方の方を向いて話し始めた。
「これは口伝でしか語り継がれなかった本当の話。・・・・・・それが、オレが聞くときの決まった始まり方だった」
勝者が書き残してきた、ねじ曲げられた歴史には記されることのなかった話。
孤独に耐えて、でも集団に焦がれた、一人の子供の話。
宗方は真剣な顔を有馬に向け、煙草は灰皿でもみ消した。気が散る行動は全て停止して聞く体制をとる。
そして有馬の口から語られる有力な情報、『風雲童子』は語られ始めた。
昔々、周りとは異質の子供が居ました。
光る白い髪をもち、生き物を射殺しそうな目の色は薄く、獣のような瞳でした。
異形の子供は恐れられ、何を言っても信じて貰えず、何をしようとしても裏目に出ます。ただ飯を買うために声をかけても「異形っ子に盗まれる」「異形っ子が現れた」。倒れた者に手を貸しても「触らないで異形っ子」「異形っ子に倒された」。人々は異形の子供を恐れ、異形の子供は誰にも好かれませんでした。
そして思います。「ああ、どうして自分は白い髪を持っているんだろう」「何故みんなとは違うんだろう」、異形の子供は一人で考えます。そして一つを願います。「同じになりたい、みんなと一緒に自分もなりたい」。
しかし異形であることには理由があったのです。
異形の子供はある日、ついに追われる身となりました。誰も話すことを恐れ、物を売ってくれなんかしませんので、空腹の余り野菜を一つ盗んでしまったのです。誰もが異形の子供のささやかな悪事を目の辺りにし、噂は真実なのだと怒りを露わにし追い立てました。「出て行け」「消えてしまえ」、「お前の姿は人間じゃない」。異形の子供は泣きながら走って逃げました。
異形の子供は涙を零すごとに考えます。ぽたり、「どうして自分はみんなと違うんだろう」。ぽたぽたり、「どうして自分は生きているんだろう」「こんなに嫌われて、疎まれて」。ぽたぽたぽたり、涙は止まらず想いも止まりません。「ああ、同じになりたい」「好かれたい」「どうして自分は異形なんだろう」。異形の子供の涙は、風に乗って横に流れて消えていきます。走る者から涙が流れているのですから、当然のことです。そして流れた涙は、後ろに迫った町の人間の一人にぶつかり、弾けました。その途端、男の足は止まったのです。先頭が止まってしまい、後ろの者たちも足を止めました。そして問います。「どうした」「何故止まる」「異形っ子が、逃げてしまうぞ」。
立ち止まった男は、前に走る異形の子供を指さしました。「飛んでいる。異形の子供が飛んでいる」。走るうちに異形の子供は宙に浮いていたのです。
異形の子供は、驚く人々の顔を見ながら、自分も驚いていました。「飛んでいる。自分が空を飛んでいる」。そのまま体は思ったように宙を飛びます。異形の子供は、生まれて初めて微笑みました。「空とはなんて広いんだ」「なんて心地が良いんだ」。
「ああ、自分はこのために生まれ、生きていた」。
そして異形の子供の、人としての一生は終わる。次に異形の子供が目を醒ましたとき、目の前に、人影がありました。いえ、影ではおかしい表現です。その人物は光っているのですから。
「心をもつ異形の子。あなたの使命は、私の跡継ぎです」
そう語るのは、この国を支え続ける神でした。人々に疎まれ続けた異形の子供は、なんと神になったのです。
「何故自分が選ばれたのでしょう」「神とは何をするのですか」。そう問うた子供に、元神は慈しむように微笑みかけ、謝罪しました。
「誰もが望まぬ神の坐を継ぐためにあなたはこの世に生まれ落ちたのです。人々の住む世の汚れ、不条理、癒し、輝き、醜さ、愛おしさ。それらを不変に保つために、この坐があるのです」
神となった子供に、元神は恭しく頭を垂れて手の甲に口付けました。
「何をするのか、と問われました神よ。お答え致しましょう、神がすべきことは、この世の全てを嘆くことです」
元神は、人にはない輝きを持つ黄金の瞳から若き神のために一粒の涙を零したのです。その涙は大地に雨となり降り落ち、嵐を呼びました。
「何もせずにただ嘆きなさい。つらさを噛み締め、苦痛に耐え、あなたはこの国を支え続けるのです。何千年も、何万年も、何億年も・・・・この世の全てが滅ぶまで」
――――嘆き続けよ。この世を呪え。そしてあらぬ苦痛をその身に背負え。
この世の不条理が尽きるまで。
「・・・・・・・異形の子供が崖から落ちて死んだ後、その町は三ヶ月の間、豪雨と暴風、稲妻の嵐に怯え、身を寄せ合いました。町人の半数以上は死に、そして助かった者も嵐で作物が全滅し飢餓に苦しみました。異形の子供の死体はすでに流され、決して見付かりませんでした。」
あえて何も口は挟まずに、宗方もハルヒも有馬の話を聞いていた。
「運良く生き残った人たちは、しばらくして言い始めました。「異形っ子にちがいねぇ」「やつが嵐を呼んだんだ」。「自分を追いつめた人間達に仕返しをしたにちがいねぇ」「異形っ子は、風神と雷神の子供だったんだ」・・・・・そして異形の子は神となり、町ではその子供のことを、畏怖を込めてこう呼びました。嵐と悲しみを呼ぶ異形の子・・・」
有馬の口調がゆっくりになり、昔語りは締めくくりられた。
「・・・・『風雲童子』、と」
そう言い終えると有馬は静かに目を閉じて心持ち俯いた。そしてふと宗方の方を向くと首を傾げた。
「・・・・・・・お役に立ったかな? 若い民俗学者さん」
それが宗方のことを言っているのだと当然気が付き、宗方は一つ頷いた。
「・・・・・ああ、ありがとう」
いつの間にか言葉の金縛りは解かれていたが、宗方はそれに気付く間もなく思案した。
(この話は、聞いたことがある―――)
宗方は真剣な顔で何十年も昔の思い出を掘り起こしていた。そうだ、あれはたしか蔵にあった書物に書かれていた。
有馬が語るまで、そんなことは忘れていた。だが『風雲童子』と似た内容の話が確か犬上家にもあったはずだ。
(ちっ・・・・・思い出せねぇか)
読んだことがあるはずなのに思い出せない自分自身に内心舌打ちして、宗方は立ち上がった。
「時間を取ってくれたことには礼を言う、ありがとう。・・・・・俺は帰るから、後はコイツと好きにしてくれ」
ハルヒを指さして、宗方は有馬に浅く頭を下げた。あとはVIPとして、ハルヒの待遇を望む有馬に二人きりにさせてやれば喜ぶかと思ったのだが、有馬の言葉に宗方は足を止める羽目になった。
「ストップ」
「・・・・・・なんだ」
上着を手に取った状態で有馬を振り返った宗方は、真剣な顔をしている有馬に眉を寄せた。
「君も大概失礼な男だな。こんなに彼女に思われているのに、話が済んだら即帰るのか」
(・・・・・・・中身を知らねーお前は幸せだよな)
心の中で皮肉を零して、有馬の背後でからかうように口の端を上げているハルヒに腹が立った。
「・・・・・・いいのよ、私はそんな彼が好きだから」
宗方から見れば芝居がかった演技でそうフォローしたハルヒを一目愛おしそうに見てから、有馬は宗方に宣言した。
「オレはハルヒが好きだ。だから君が礼をしてくれるというなら、ハルヒと一緒にいてくれ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
宗方は一瞬考えた。
「は?」
「悔しいがその方が、ハルヒが嬉しいのならオレは君にそうして貰えれば、十分オレに対する礼となる」
自分はハルヒが好きだけど、ハルヒは君が好きだというなら君にハルヒと一緒にいて貰いたい。と、なんとも健気を通り越したことを宣う有馬。宗方が返事に困っている間に、有馬は着々と帰り支度を整え扉に手をかけた。
「じゃ、また今度は二人の時に紙飛行機をくれると嬉しい」
ハルヒにそう言って、有馬矩彦は早々に帰っていった。呆然としている宗方と、足を組んでいるハルヒをVIPルームに残して。
「・・・・ははん、あー疲れた。媚び売るのも楽じゃねぇな」
有馬が居なくなった途端に本性を出したハルヒに上がった握り拳を理性で押さえながら、宗方もまたソファに座り直した。
「どういうつもりだ春日。あの野郎は、いいのか?」
「かまわねぇよ、また来る」
いつもより高い声で、同じ口調で喋るハルヒに違和感があったが、気にせずに宗方は有馬のことは忘れることにし、話を切り出した。
「まあいい・・・・・・・それより『風雲童子』だ」
「興味深い話だったろ?」
「ああ。ああいった神についての昔話は少なくないが、露骨に会話まで伝えられる例は珍しい。それに口伝のみで伝えられるというのが気になる・・・たしか家の蔵の中に同種の蔵書があるはずだが、明日にでも確かめに行く」
「明日ぁ? 面倒くせーな、今すぐ俺が連れてってやろうか」
あやかしとしての自覚の足らないハルヒの言葉を拒否して、宗方は新しい煙草を取り出して火を付けた。
「いや、今日はお前も連れて一度家に帰る。八千夜を訪れて一羽の鴉が来たんだ」
「鴉?」
「――つかベランダから窓を嘴で叩いてやがったんだが――・・・人語を話した」
宗方は昼間の出来事をなるべく詳しく話して聞かせた。一羽の鴉は、宗方が家に入れてやると真っ直ぐに目を合わせて片言に喋ったのだ。
『カカカ・・・・オ、オ出迎エニ・・・アガアガ、アガリマシタ・・・・・テング・・・ハシラ・・・・ヤチヨ』
す、とハルヒの視線が鋭くなった。
「・・・・・今日、だと?」
「ああ。何か思うところがあったのか、八千夜はその鴉を部屋に連れ込んで引きこもったままだ」
それを聞いて少し考え、ハルヒは顔を上げて宗方に問うた。
「ハシラ、と言ったのか?」
「それが俺も気になった。『ハシラ』ってなんのことだ?」
聞き返す宗方に、ハルヒは俯いてその細長い指を絡めて膝の上に載せた。
「ハシラ・・・・・・あやかしの間で、『柱』というのは神聖なものなんだ」
「神聖? ・・・・あやかしなのにか」
「そうだ。『柱』とは、『支える者』。重荷を無負うために存在し、動けないもののことだ」
ハルヒ、つまり春日の脳裏には思い起こされる映像があった。決して一つの山、木から離れずに、ただそこに在り続けた天狗の姿を。
「支えるって・・・・・・一体何を」
「この世の業と、この国に生きる者たちを」
ああ、それは。
一つの仮説が宗方の頭の中に浮かび、その答えがハルヒの口から高い声で哀しそうに囁かれた。
「そうだ・・・・柱、とは」
この世の全てを儚み、慈しみ、国を支える者。
―――――『柱』とは。“神”と並ぶ、気高い首座のことだ。
* * *
スナックバー『星空』から出てきてすぐに、有馬は携帯電話を取り出して短縮設定にしてある番号を押した。2コールで、電話の相手は出た。
『―――は、はい! もしもし』
「・・・・・・遅い、ワンコールで出ろ」
『〜〜〜〜申し訳ありません社長。まだ使い慣れないんです・・・』
「まったく機械に疎いね君も。――ああそれより、彼に変わってくれ」
一年経ってもいまだぎこちない対応をするこの男に苦笑を漏らし、有馬は電話を替わって貰った。若社長の地位に立つ有馬は、一年前に知人が紹介してきたこの男を自分の秘書に置いたのだが、どうも拙い。指示を出せば正確にこなすし、莫迦というわけでもないのだが、いつまで経っても自信がつかない男だ。かといって控えめ過ぎて自分を苛立たせる様なこともないので、有馬は変わらずに秘書の地位に就けている。
その男を紹介してきた知人が、電話の向こうで面倒臭そうに声をかけた。
『―――ああ、元気?』
「元気だとも。こちらは準備できたよ」
『わかった、なら一度こっち来てくれる? 那音と伽羅も来てるからさ』
電話口から伽羅の元気な声が聞こえ、有馬は歩を進めながら頷いた。
「そうか、そろそろ動くのか」
『つーかもう始まってるんだよ。アンタもさ、そろそろその皮脱ぎ捨ててくれよ』
「うん? 残念だな、結構気に入っているのに」
この、有馬矩彦という男の体は。地位も容姿も、申し分ない。
「ま、遊ぶのにも飽きたし。いいよ」
『・・・・・・・・・何? また女漁りしてたのかよ』
呆れたような声にクスクス笑い、有馬は目を閉じてゆっくり開いた。サングラスの向こうで、爬虫類のような瞳がきょろ、と動いた。
「人には無い美しさを持つ美女だよ。まったくあの狐のような瞳には参るね。虜にされたら戻ってこられなくなりそうだ」
『・・・・歯の浮くようなセリフは、その女に言え』
「これは失礼。・・・・・・・ではまた、お偉い使叉殿にお仕えしようかな」
『ぬかせ、心にもないことを。ボクは使叉としてじゃなく、私怨で動いてるんだ。それに、もう一人の使叉は、アイツのそばにいる』
「はいはい解ってるさ。権利を剥奪されたオレには関係もないことだよ。・・・・じゃ今から行くから清秋君にお茶の用意させといて」
『もう出来てる』
「仕事が早いね千影は」
『お前が受け身過ぎるんだ』
確かに、と頷いて。有馬は煌びやかな通りの細道の闇夜に姿を消した。時間は遅いが場所が場所なだけに、引き込みの女や泥酔した中年たちなど人気は多かったのに、消えた有馬の姿を気にする人は誰一人としていなかった。
* * *
宗方が煙草を吸い終わるのを見計らい、ハルヒは立ち上がった。
「・・・・・急いで、帰ろう。『迎えにきた』という鴉も気になる」
「お前が知っていることはねぇのか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・八千夜は、あまり喋りたがらなかったからなぁ」
確かに春日ばかり喋っていそうだな、と頷いて宗方も立ち上がる。
「で、お前仕事は・・・・」
先に部屋を出たハルヒの後を追って扉を開けた宗方は、突然腕に抱きつかれた。女性特有のふくよかな胸が腕に当たる。
「私、外出しまーす。今日は帰ってこないかもね♪」
(・・・・・・・・・・止めてくれ。頼むから)
宗方の思いも虚しく。辺りはざわめきが広がる。あのハルヒがお持ち帰り!? 一体どんな男が!? と店にいる人間全てがざわめき、一度は視線を向けた。
ハルヒが(外見上)甘えるように、呆然としている宗方に抱きついてそっと耳打ちした。
「おい・・・俺も付けられるなんてドジはふんでねぇが、今後夜道歩くときは気を付けろ。俺の過激ファンに刺されかねねぇぞ」
「なら今も、しがみついてんじゃねぇッ。放せ」
とりあえず小声でそう怒鳴った宗方の腕をきつく掴むハルヒ。怪力の宗方を抑える力でギリギリと握力を込めているので宗方は顔を引きつらせた。ハルヒの顔は変わらずに店の客に愛想を振りまいている。
「・・・・何? 今ここで、俺の手を振り払うつもりか? 星空ナンバー1のハルヒに、恥かかせるつもりか? んなことしやがったら俺が刺すぞ」
「てめーは変なところにプライド持ってねぇで男のプライド持ちやがれ!」
「ま、お前ならただの人間に刺されるなんてこたぁないよな♪」
ああ、外見が女と言うだけで、調子が狂う。殴りたくなった衝動を必死に抑え、春日に戻ったら絶対に殴ってやろうと宗方は心に誓っていた。
ハルヒを持ち帰るという名目で、宗方と春日は帰路についていた。帰り道すがら、ハルヒは暗闇に入った一瞬で春日の姿に戻った。服も一緒に変化していたのか、外出するときに見た中国服である。春日が好んで着る私服だ。
その途端、宗方に額を殴られた春日はそこを押さえながら、宗方の後に続いてマンションに帰ってきた。
「あ、おかえり」
「・・・・・・・おい、まだ寝てなかったのか」
午前二時を回っていたのに、頼正が起きていた。暗闇道を通って帰ってきた二人はまぶしい室内灯に目を瞬かせた。
「二人一緒? なんか食べる?」
「いや、いい。・・・・・・? 八千夜は?」
頼正は、八千夜の部屋を指さした。まだ籠もっているらしい。
だから明日も学校だというのに頼正が起きていたのかと、宗方は納得して八千夜の部屋の、閉められたドアを見た。
しかし、いくらなんでも長すぎる。
そう思ってすぐ、宗方は行動に出た。
ノックも声をかけることもせずに、八千夜の部屋のドアノブを回して押した。鍵が掛かっていたが無理矢理鍵を壊した。・・・もともと怪力の宗方や頼正が少し力を込めれば、壊すのは容易いのだ。
勢いよく開いたドアを止め、宗方は一歩中に入った。
「―――――――・・・っ」
ドアの先には。
数本の黒い羽がベッドと床に落ちていた。八千夜の姿は、ない。鴉の姿も。
「宗方―。明日のことだけどな・・・・」
ひょいと顔を覗かせた春日が部屋の中を見て静かに息を呑んだ。きちんと整理された学習用の机の上に置かれた手紙を見つけ、宗方はそれを手に取って広げた。二つ折りにされただけの簡素なものだった。
八千夜の、ちょっと几帳面な字で書かれていた。
儂は罪を犯した。だから償わなければならない。
一年前に、家に招き入れてくれて、儂は独りじゃなくなった。儂の罪を償うために協力をしてくれるとお前達が言ってくれたときは、嬉しかった。慣れない気持ちでなんだかむず痒かった。
孤独を当然として、居心地良くなることを儂は望んではならなかったのに、一年間も自分を甘やかして今日まで過ごしていた。魅縒り石を探すと言ってくれて、情報を集めてくれていたのも知っている。申し訳なかったが、何も言えなかったことを許して欲しい。いや、許さずとも良い。儂はもうここに居られない。
柱という宿命を負うものとして、儂はこの世に存在した。そのために生かされた命だった。何度も暖かい手をさしのべられて、その度に頑(かたく)なに拒み、儂は柱としてその場にいながらずっと焦がれていた。
この家での生活を決して忘れない。ずっと夢見ていた生活だった。天狗の時から、春日が何度手を伸ばしても掴まなかった儂が、常に内で求めている毎日だった。
もう十分だ。儂は罪を償うために此処を出て行く。学校にも行かせて貰い、迷惑ばかりかけた。
今までありがとう。
さようなら。
―――八千夜。