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「さて」
 八千夜のおかげでだいぶ時間が掛かった夕食の後かたづけが終わり――ちなみに、後かたづけは四人で行い、これまた不気味な光景だった――、客間に移った四人。煙管を壊してしまい口寂しさに舌打ちして、腕組みをしながら宗方が切り出した。
「とにかく説明しろ」
 素っ気ない言葉だったが、それ以外の言い方が見付からない。まだ何もわからないのだから。
 すでに深夜零時をまわっていたが、構わずに四人は同じ部屋で同じように座布団を敷いて座っていた。
「・・・・・・」
 九尾がじっと隣であぐらをかいて座る小さな姿の八千夜を見つめる。八千夜は誰とも目を合わせずにじっと下を向いたままそっと呟いた。
「儂は、力を取り戻さなければならない」
「力?」
 頼正が聞き返すと、八千夜は顔を上げて向かいに座る頼正と宗方の顔を見た。
「・・・・・・・・・・天狗としての力だ」
「!」
 頼正は小さく息を呑んだ。宗方は無意識に煙管を探し、手元にないのを思い出してまた舌打ちして眼を八千夜に向けた。
「・・・・・それより、どうして力を失った?」
 落ち着いたまま問う宗方。八千夜は宗方と目を合わせて応える。
「儂が自分で捨てた」
「それを何故また求める?」
「かつて儂は力をもてあましていた。だから願ったのだ・・・」
 まさかと九尾の目が開かれて隣の八千夜を見る。八千夜は続けた。
「・・・・『星桜之雪(ほしざくらのゆき)』に、人間になることを望んだのだ」
「てめぇ!!」
 突然、九尾が八千夜の胸ぐらを掴んで持ち上げた。子供の姿の八千夜は、軽々と首を絞められたまま宙につるされる。八千夜は苦しそうに顔を歪めて九尾を見る。九尾の顔は、嶮しく、そして怒気を孕んでいた。
「何してたんだお前! 星桜之雪は絶対に使ってはならないものだ!」
「・・・貴様には、わかるまい・・・っ」
「ああ、わからねぇな! 禁を犯してまで何故お前がそんなことを願ったのかなんて!」
 あまりの九尾の剣幕におどおどしながら、頼正が九尾の手を押さえる。
「待って九尾さん!」
「うるせぇ黙ってろ!」
「ぅわっ!」
 どんっと九尾から波のような震動が起こり、頼正は吹き飛ばされた。腕の怪我を反射的に庇った頼正をすかさず宗方が抱き留めて、畳に激突することは防ぐ。
「っと、ありがと」
 礼を言う頼正を下ろし、宗方は九尾の耳を引っぱって怒鳴った。
「いい加減にしろ! さっさとその手を離して、二人とも座れ!」
 きーん、と耳元で叫ばれた九尾は耳を押さえてしゃがみ込み、手を離された八千夜は咳き込みながら尻餅をついた。
 宗方はずかずかと九尾に近づき、耳を押さえている九尾の頭を拳で殴った。
「だぁっ!!」
「いきなりキレてんじゃねぇよ狐。大体『星桜之雪』って何だ」
 頭をさすりながら、九尾は口を噤んだ。代わりに八千夜が一度咳払いをしてから話し出した。
「星桜之雪とは・・・・・・・呪われた神の名だ」
「神だと?」
「祟られ神。疎まれるために在る嘆き神だ」
 心底嫌そうに、九尾がその後を続ける。
「そして、願いを叶えると言われる欲望を欲す神。願いを叶える代わりに、どこかに数十倍の不幸をうみ落とす・・・・・!」
 ぎらっと九尾は八千夜を睨んだ。
「お前が願いを求めたがために、不幸になった者が一体どれだけいると思っている!」
 戦の一つや二つ程度では無いんだぞ、と九尾は再び射殺しそうな眼で八千夜を睨む。いつまた殴りかかるかわからない雰囲気だったので、宗方は九尾の頭を押さえつける。
「落ち着け。九尾の狐が幸福を司る獣だということは知っている」
「あ、そうなの?」
 宗方の言葉を聞き取った頼正が問うと、三人同時に頷いた。宗方が説明する。
「祝い事やめでたい時に現れるという説がある。中国やインドで計略を巡らせ滅ぼした国がいくつか在るともいわれているが・・・・・」
「ありゃデマだ。俺はただ、『星桜之雪』で不幸に見舞われた者たちを救うためにその場に向かっただけだ。防げなかったあげく、俺が戦争、飢饉、流行病などの原因とされたがな」
 頭を押さえられながら、九尾は手を握りしめた。眼は相変わらず八千夜を睨む。八千夜は少しだけ目線を下にし、ただ黙っていた。
「俺のことはいい! 確かに防げなかった俺にも責任があるからな。だがお前は見たことがあるのか!? 何千、何万、何億の生き物や植物が、為す術も無く死んでいった! 苦しむだけ苦しんで、救いもなく、苦しみ生きる命を恨んで死んでいったんだ!」
「・・・落ち着け」
「それも全て星桜之雪が原因だったんだ! どこかの莫迦が他愛もない願いを望んだがために・・・・! お前はどうなるかわかっていて望んだだと!? ふざけるな!」
「落ち着け!」
 宗方が少し声を大きくして言った。九尾は荒れた息を整え、口を閉じた。
 頼正は、どうしたものかわからないままやはり黙って顔を振っておろおろと状況を見ている。無言が続いたが、しばらくして八千夜が口を開いた。
「・・・おぬしの怒りはもっともだ。人の笑顔を好む貴様には、耐え難いことだろう」
 九尾が声を上げる前に、宗方が口を開いた。
「そうまでして何故人間になりたかったんだお前は」
 八千夜は再び黙ったが、今度はすぐに話した。
「・・・・・・・・・・・・約束、だったのだ」
「誰と?」
「言えぬ」
 八千夜は目を閉じ、俯いた。そのまま深く頭を下げた。
「・・・・償えるのならどんなことをしてでも償う。だが、許されたいわけではない。儂はこれからも苦しんで時を過ごさねばならない・・・・」
「・・・・・・・・・一つ、いいか」
 少し冷静さを取り戻した九尾が八千夜に訊いた。八千夜は少し頭を上げる。
「・・・どうやって天狗の力を取り戻す気だ。・・・・・・・まさかと思うが、再び星桜之雪を使うわけじゃないだろうな?」
 星桜之雪。その言葉を言ったとき九尾の言葉に怒りが含まれたことに、宗方も頼正も、当然八千夜も気がついた。
「・・・そんなわけがないだろう。儂はもう二度と、星桜之雪は使わない」
「じゃあ、どうするの?」
 頼正が問う。八千夜は顔を伏せたまま応えた。
「・・・・・・・かつて儂は、星桜之雪に天狗の力を分割して各地に封じてもらった。だから、その場に行き、少しずつ力を集めていけば儂は天狗の力を取り戻すだろう」
 八千夜の言葉は、静かに部屋に響く。
「かつて儂は、天狗としての力を望んでいなかった。だから安易に星桜之雪に願い、後悔した。時が経った今、儂が罪をこれ以上増やさないためには天狗に戻らねばならん」
 八千夜は、言い切った。
「儂は天狗の力を取り戻し、この世を生きなければならない」
 九尾は、身勝手な八千夜の言葉に怒鳴る。
「人間になることを望んだり、天狗になることを望んだり、忙しいな貴様!」
「・・・・あつかましいとは、思っている」
 九尾の皮肉を受け止め、八千夜は苦しそうに眉を寄せた。
「だが、儂にはどうしようも出来ない」
 それを聞いた九尾の周りが、いきなり高温になった。熱風に煽られ、頼正と宗方は顔を腕や手で覆う。ただただ怒りだけが感じられ、頼正は少し恐怖を感じた。
「・・・・・怒りを抑えられぬのなら、儂を殺せばいいだろう。頼正たちに害を出すな」
 その呟きに、九尾は怒りを分散させる。許せないと思うが、何も他の者を巻き込みたいわけではない。
 だんだん落ち着きを取り戻した九尾は、放出していた熱を下げ頼正の方を向いた。
「悪いことをしたな頼正」
「え?」
「その、振り払っちまった。悪い」
 九尾の謝罪に慌てて首を振る頼正に苦笑して、九尾は次に八千夜の方を見た。八千夜はいまだ頭を下げ続けていた。その様子を見て怒りが薄れた九尾は八千夜の頭に手をのせる。柔らかく置かれたその手に八千夜は一瞬体をこわばらせた。
「・・・星桜之雪を使ったことは許せないが、訳あってのことだろう? お前のことだから」
 殴られても殺されても、文句は言えないと思っていた八千夜。どんなに九尾が万物の幸福を望む生き物か知っているから、絶対許されないと思っていた。
 ところが。
「長い付き合いだ。お前が苦しむ顔も、俺には苦痛なんだよ」
 俺は『笑顔』を好む妖狐だからな、と言って九尾は八千夜の顔を上げさせ両頬を摘んで引っぱった。
「お前が後悔し、苦しんでいるのなら。俺だって怒りを収めるしかねぇだろ」
 と、八千夜の頬を上に引っぱって笑わせた。最後にちょっと強く引っぱって手を離した九尾は、立ち上がって部屋の端まで行くと、腕を組んで座り込んだ。
「・・・・・・・・・九尾?」
 八千夜が引っぱられた頬を撫でながら呼びかけると、
「もう怒ってない」
 と言ってそれきり黙り込んだ九尾を横目で見て、宗方は八千夜に問うた。
「で、天狗の力ってのは、行けばすぐにでも手にはいるのか?」
「ん? ああ、元の持ち主である儂なら他の誰よりもすんなりと吸収できるが・・・・千年も経っているというなら、いまはどうなっているかわからないな」
「どうしてだ」
「天狗の力、つまり『妖気』の塊だ。妖怪の間では妖気が固形化したものを『魅縒(みよ)り石(いし)』と呼ぶのだが、純粋物質であるがゆえ、染まりやすいのだ」
 九尾は黙って目を閉じたまま、八千夜の言葉を聞いている。
「悪意のある者が持てば悪の石に。善意があるものには善の石に。力を増幅するのだが、残念なことに人手に渡ればそれは必ず悪の石となっているだろう」
「・・・・・なるほど、『欲』か。そういう点ではその魅縒り石ってのは星桜之雪と似ているな」
「そう、だから儂は集めねばならん」
 目を閉じて、言った。
「それが儂の成すべき事だ」
 その言葉には八千夜の決意も含まれており、頼正は事の重大さと深刻さにごくりと唾の塊を呑み込んだ。





     * * *




 少々時を遡って。
「邑上村長」
「なんだ田村」
 犬上家からの帰路をたどっていた邑上村長含む三人。無言のまま足を進めていた邑上に、ひげ面の男――田村は声をかけた。田村は梔村で一、二を争う大地主の家柄だ。代表として何度も邑上と犬上家を訪問したことがある。
「どうしてあの犬共を野放しにするんですか・・・!? 何か起きてからじゃ遅いでしょう?」
 何か起きたら殺す、という邑上の考えでは被害が出ることが前提だ。あの狂犬たちに襲われたら自分たち人間はひとたまりもない。何も起こらぬうちに殺しておけばいいのだ。
 田村はそう何度も主張するが、いつも邑上の答えは否だった。そして、今も。
「・・・牙を潜めているうちは放っておけばいい」
「牙を剥いてからじゃ、また誰かが犠牲になる」
 そう切り返しても、邑上は首を振る。
「犬神は化け物であり、神なのだ。先に手を出せば、梔村は滅ぶ。何度も言わせるな田村・・・この話は終いだ」
「納得できません」
「田村」
 邑上は、息をついて田村を見た。その眼から伺えるのは諦めと煩わしさ。
「・・・・お前の怒りは最もだが、私は村の人間を守る義務があるのだよ」
 そして僅かに同情を含んだ言葉。田村は俯いて悔しそうに拳を固めた。
 許せない。許せるものか。大事なものを奪われて、犯人はわかっているのに手は出せないだと? 憎むだけしか出来ないだと?
 十八年前の事件を機に、犬上家は残り二匹となった。だが、それでも。
「・・・・奴らはまだ生きていて、のうのうと息をしているんだ・・・・・!」
 立ち止まって歯を噛み締めた田村を横目で見て、無口な若者――倉木――は、人知れず静かに口の端を上げた。




     * * *




 八千夜が話し終わった後、しばらく無言が続いたがとにもかくにも今日は寝ようと頼正が言い出し、一同は床についた。宗方は小説の紙や資料で溢れるお世辞にも綺麗とは言い難い自室へ、頼正はその隣に位置するやはり自室へ行き、八千夜と九尾は話し合っていた客間に並んで二つ布団を敷いていた。
「お前、明日は此処を出るのか?」
 いきなり九尾が言い出した。千年前、正確には八千夜が眠りにつく十年前に最後に別れたきりだった八千夜と九尾。八千夜には十年の月日しか感じていないが、千年も時が経って九尾はどう思っているのか、少なくとも友人としての付き合いに変化はない。
 意見を違えることも、共に杯を交わすことも、ままあることだった。
「頼正と盟約を結んだんだろう? 話したということは、頼正も連れだって此処を発つのか?」
「頼正は来んよ。宗方とこれからもここで暮らすだろう。何も儂に付き合うことはない」
「じゃ一人で行くのか?」
「そのつもりだが」
 ぽふぽふと枕を叩いて、九尾はごろんと布団の上に転がった。九尾は宗方に、八千夜は頼正にそれぞれ寝着を借りている。八千夜はそのまま眠らずに、夜の内に発とうと思っていた。
 九尾がしばらく考えていたが、天井を見ながら呟くように言った。
「・・・なぁ、人間になっちまってんなら別に此処で暮らしてもいいんじゃねぇのか? 頼正も宗方も追い出したりしねぇだろうし」
「殊勝な事を言うな九尾。儂は星桜之雪を使った身、遠慮は要らぬぞ。もとより貴様に殺されてもやむなしと思っていたのだ」
「そう言うこと言ってんじゃねぇよ。もう怒ってねぇよ」
 ため息をつく九尾に、八千夜は少しだけ笑った。あの時の怒りは本物だったとわかっているのに、今は全く怒りを感じない。もとより他人の笑顔を好むこの獣は、自らも長時間怒ることが出来ないのだ。
「・・・なに笑ってんだ天狗」
「いいや、それより天狗というのは間違っている。儂は今、天狗ではないからな」
「名前は最も短い呪詛だと言って、お前が嫌がったんだろうが」
「八千夜で構わぬ。おぬしこそ良いのか、仮にも大妖、妖狐が人間とつるんで」
 他の妖怪共の中には、人間を毛嫌いするものがいる。そんな者たちに対して、大妖の示しがつかないではないか、と八千夜は言う。九尾はため息をつき、目を少しだけ閉じた。
「・・・・・・・天狗―――じゃなかった、八千夜。俺も寝たり起きたりまちまちだったからよくわかってないんだけどよー。今、この世じゃ人間たちは進歩して、エレキテルってのを駆使して空まで飛べるんだぜ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なに?」
「やっぱり知らないか。この辺りは結構昔のままだけど、『都会』っつー所に行ったら、お前絶対阿呆みたいに口開きっぱなしになるぞ」
「そんなに変わってしまったのか。大体その・・・え、えれき? とは何だ」
「エレキテル。外国の言葉だ、電気って意味だよ」
「外国? ここは日本ではないのか? それと『でんき』とは一体・・・」
「ここは日本だけど・・・・・なんつーかなぁ。電気ってのは・・・そうだなぁ雷みたいなものを人間が生み出せるんだ」
「なんと! 人間が妖力を手にしたのか? 妖怪たちはさぞや肩身が狭かろうな・・・・もしや人間たちは魅縒り石を持っているのか?」
「いや。えーとなんだったかな・・・・・あー『化学進歩』って言ったかなぁ・・・?」
 とにかくお前が思っているような日本国じゃないんだよ、と九尾は頭を掻いた。いまいちよくわからないまま八千夜は唸る。
「ふむ・・・・・・・・儂が目覚めたときに山の中で異臭を感じたのはそのせいなのだろうか。嗅いだことのない匂いだったしな」
「というか今の時代、あやかし自体がもういないんだ」
「・・・・・・・・・ん? どういう意味だ?」
「あやかしが好む『闇』が、この世にはほとんど無いんだ。夜も人間たちのエレキテルが煌々と全てを照らす。いまや人間が世界を牛耳ってるぜ」
「なんと・・・・・・想像もつかんよ」
 少なくとも此処、犬上家とその周辺は灯りもなく真っ暗だ。八千夜と九尾がいる客間には細く光る灯籠が置かれているが、それだけだ。
 肩をすくめるように声を上げる八千夜に、九尾は提案する。
「だから、慣れるまでもう少し此処にいたらどうだ、って言ってんだよ。大体人間になったお前に何が出来る? 三日でのたれ死ぬのがおちだ」
「なんだ、散々怒った後で、もしやおぬし儂を心配しておるのか?」
「莫迦言うな。怒ってねぇが、まだ許してねぇ。友人として忠告してやってるだけだ」
 ふいっと顔を逸らした九尾に、ちょっとした悪戯を思いついて八千夜は口の端を上げた。
「・・・変わらぬな『春日(かすが)』。人間贔屓と罵られても笑い流す大物よ、懐かしいのぅ」
「人間ってのは面白いからな、嫌いじゃないだけ・・・・・――――、っ!!?」
 突如、がばっと勢いよく九尾が身を起こした。まじまじと八千夜の顔をのぞき込む九尾の驚いた顔を満足そうに見て、八千夜はニヤリと笑った。九尾は、少し顔を赤くして叫ぶように訊いた。
「なんでお前、俺の名前知ってやがる!!?」
 八千夜は肩をすくめてぽすっと布団に転がった。
「儂は天狗だったんじゃぞ? 『風』の噂など集めるのが得意だったことを忘れたか?」
 言わなかったが、大分前から知ってたぞ。と、八千夜は飄々と応えた。九尾―――もとい春日は、わなわなと顔を赤くしたまま頭を抱えた。
「・・・全然知らなかった」
「言わなかったからな」
 さてこれからどうするか、と呟いて目を閉じた八千夜の頭を、春日は拳で殴った。
「てめぇ、生意気だぞ」
「〜〜〜相変わらず手が早いな貴様・・・」
 照れ隠しで殴られたのではたまったものではない。八千夜は頭を押さえてふて寝のように布団をかぶる春日を横目で見て呟いた。





 そのまま深夜三時をまわり、夜のうちに発とうとしていた八千夜の考えは耐えられなくなった睡眠欲によって崩れ去った。
 それが良かったのか、悪かったのか、大きな事件が起こったのは明け方、まだ誰も起き出していない時刻だった。







     * * *





 朝日が昇る前。梔村にて。
 村人百人にも満たない小さなこの村は、昔はもう少し大きく活気在る村だった。過疎化が進み、若者たちが都会へ出稼ぎに行ったことも理由の一つであるが、極端に村人の数が三分の一になった理由は、十八年前の出来事のせいだった。
 村のやはり小さな市役所で、田村は数人と集まって話し込んでいた。大地主田村家に古くから世話になっている二、三の家や田村家の人間が総計十数人集まって、怪しげに話し込んでいた。
「田村さん、アンタの言い分もわかるが・・・・」
「んだ、村長さんは近寄るなって言っとるよ」
 田村の意志の硬さに、困ったように言う年配の二人。そんな二人の男を田村はぎろりと睨み付けて黙らし、一喝した。
「いつから腰抜けになった!? 相手はたかが犬コロ二匹だぞ!」
「そげなこと言うても・・・・相手は犬神だべ・・・」
「後でどんな祟りがあるかわからねぇ・・・・・」
 煮え切らない村人の言葉に、田村は熱弁した。
「十八年前の出来事を忘れたか!? 奴らを生かしておく方が余程危険なことだと何故わからないんだ!」
「それは・・・・・わかっとるよ」
「忘れるはずがねぇ」
 村人たちで知らぬものはいない。犬厄(いぬやく)と呼ばれる先の大惨事。村の真ん中に立つ慰霊碑に刻まれた名は百人以上に及び、犬神に対する畏怖を込めて堂々と立っている。
「奴らは化け物だ。殺したところで感謝こそされても疎まれるはずがない! 村長はこの世紀に絶えるのを待てと言うが、それまでに再び犬厄が起こらぬとも限らない。もう二度と、おれはあんな思いはしたくねぇんだ!」
 田村が叫ぶと、その場にいた者たちは黙りこくって俯いた。思いは同じだ、だが。眠れる神に触れてはならないと、村長に何度も言われている。
 村人として自分の意志で村長に従うか、思いをぶつけ安全と平和を取り戻すべきなのか、村人たちは各々の胸の内で葛藤する。
 そんな中、うっすらと壁際に立っていた倉木が口を開いた。
「・・・・・・・・俺は賛成するよ。田村さん、犬神家は滅びて当然です」
 倉木が喋ると、村人はざわついた。先の犬厄で、彼が失ったものを皆知っているのだ。いつも太陽のように笑みを絶やさなかった少年が、それを機に無口になったことも知っている。
「倉木・・・」
「十八年前も、受け身な考え方をしていたから被害が大きくなったんだ。先に仕掛けた方が絶対に良いさ」
 倉木の言葉は、村人の気持ちを引っぱる。
「今すぐにでも、焼き討ちをかけるべきだ」
 再び犬神が現れぬように。
 同じく大地主のひとりである倉木家。倉木と田村の二人が意見をそろえた今、この場に逆らう者はいなかった。
―――犬神家の抹殺を。
 村人が意志を団結させるのは、そう遅いことではなかった。





     * * *





 異変に最も早く気がついたのは九尾の狐、春日だった。静かに睡眠を貪っていた春日は、静かで毎日と変わらぬ早朝の中、ぴくっと耳を揺らせて目を開けた。一瞬後には飛び上がるように布団から抜け出る。
 辺りをうかがう春日。横では、春日の動きで目を覚ましつつある八千夜の声が小さく聞こえた。
(これは・・・・・)
 目に見えるのは不変の平穏な朝。だが春日は即座に襖を開け、声を荒げた。
「おい起きろ! 何か変だ!!」
 八千夜が目を開けたとき、春日が大声で怒鳴っていた。目を擦りながら少々寝ぼけ気味に問う。
「どうした春日」
「なんか良くないことが起きる。さっさと起きろ!」
「・・・・なんだ一体!」
 ばたばたと宗方が姿を現し、春日は焦ったように怒鳴った。
「この囲まれた空間が壊れる・・・・。影響を受けているぞ!」
「囲まれた空間? 結界のことか!?」
 宗方の声を聞き、八千夜は完全に覚醒した。辺りをうかがって頼正の姿を確認し、宗方に問う。
「結界とはどういう事だ?」
 宗方に向けての問いだったが、応えたのは春日だった。
「気付いてなかったのかよ天狗。―――ああ、今は人間の八千夜だったな。この屋敷の敷地内は浄化の結界がある。小難しいものじゃないぶん、壊れにくい守りの力だ」
 犬上家の敷地に張られた守りの力。それを聞いて八千夜は昨日の出来事を思い出す。
 鴉たちに襲われ、追われた。だが鴉たちはこの敷地内に入った途端、攻撃してこなくなった。
「何らかの悪意が渦巻いている! おい、さっさとここから出たほうが・・・・―――!!!」
 春日の忠告は、間に合わなかった。
 パァンッ!! と何かが弾けるような大音量と共に、暴風が家の中に吹き込んだ。とっさに四人は顔を手で覆って風を防ぎ辺りを見る。
 弾ける音とほぼ同時に、頼正の鼓動が大きく跳ね上がった。驚いたのとは別の、不安を感じるその心音に困惑しながら、頼正は胸の前で手を握った。
 頼正の体が、自他ともにわかるほど大きく震えた。風が止み、それに気付いた宗方は焦ったように呼びかけた。
「頼正!?」
 突如熱をもった自分の体を抱きしめて、頼正は返事も出来ずに膝を折る。暴風とともに家に吹き込んだ砂や葉を踏みしめて宗方は頼正に近づき、がくがくと震えている頼正の体を見て舌打ちした。焦っているその様子について八千夜はなにもわからなかったが、春日はすぐに頼正を担ぎ上げ走り出した。
「とにかく出ろ! 頼正は自我を保つことだけ考えてろ!」
 頼正は頷いたのか力を失ったのかわからないが、カクッと頭を下げた。春日は頼正をおぶり、先導して走り出す。
 違和感や不安、何か根拠のない感覚だけなら八千夜や宗方も感じているが、春日ほどの焦り方を見るとどうもぴんとこない。ただ春日の指示に間違いはないだろうと後に続く。
 春日は本能で確信していた。それは獣としてかもしれないし、長年生きる九尾としての感覚も知れなかった。
 だが確信していた。何かが起こると。
「二人とも止まれ!」
 声をかけてから春日は足を止めた。裸足で庭を駆けていた三人は地面を滑りながら足を止める。痛みはあったが、そんなことは気にしていられない。
 春日が見ていた方面―――正門のほうに、数人の人影があった。その手には、鍬や鎌、斧などが握られている。
「いたぞ!」
「なんだ、見たことねぇヤツもいっぞ!」
「かまうな、あの外見・・・・・どうせただ人じゃねぇんだろ!」
 八千夜と春日を見て言われた言葉。確かにただ人ではないが、八千夜は今人間であるし、春日は見目が良いことと派手なことを除けば人間の姿である。
「なんなんだ。こいつら」
「人を見かけで判断しおって」
 心外と言わんばかりため息をつく春日と腕を組む八千夜。それに対する言葉はおいといて、宗方は忌々しげに顔を歪めた。
「・・・・・梔村の者たちか!」
「んだ・・・!」
「くたばれ化け物!」
 叫んで投げられた石が宗方の足下で跳ねる。次々と投げられるが、宗方は無表情にそれをかわしている。
 八千夜と春日は呆れたように言った。
「嫌われとるのぅ貴様」
「今みたいに可愛くねぇことばっかしてたんだろ」
 犬上家の動体視力では避けるのは容易い。当たる気などさらさらないらしく腕を組んで余裕でかわしている宗方。同じく投げられる石を紙一重で避けながら、八千夜と春日は宗方を見た。春日はおぶっている頼正にも当たらないよう間合いを注意している。
 村人たちは三人の身体能力に舌打ちして、怒鳴った。
「くそっ化け物め!」
 顔の横で春日が手を横に振った。
「いや、普通のヤツでも避けられるから」
「自らの腕の悪さを認めぬとは浅ましい者どもだな」
「・・・お前ら、ちょっと黙ってろ」
 宗方が一歩前に出た。
「おい貴様ら! 何のつもりだ、梔村は俺達に介入しない誓約を違える気か!?」
「うるせぇ! お前らなんか生きてることが間違いなんだ! 死んじまえ!」
 雑言と共に、村人たちは手に持つ刃物を振り上げて駆けてきた。
 宗方はもう一歩前に出て、後ろにいる八千夜と春日に声をかけた。
「・・・お前ら、頼正連れて出てけ」
「なに?」
「お前らには関係ない。頼正を頼む」
 それだけ言って、宗方は歩みを進めた。その目前にはすでに村人たちの凶器が振り上げられている。八千夜が真意を問いただそうと口開いた途端、春日が八千夜の寝着の首根っこを掴んで跳躍した。突然の衝撃に八千夜は抗議の声を上げる。
「なっ!? 春日っ」
「さっさと来い!」
「逃げたぞ! 追えぇ!」
 子供を二人抱えていることなど微塵も感じさせない身軽な動きで、春日は塀を飛び越えた。宗方は、それを音と気配で察しながら目の前に振り落とされる刃物を避けて、叫ぶ。
「誰の指示だ! 犬神の力を知らないわけではないだろう!?」
「死ねぇっ! 化け犬が!」
 話を聞こうともしない村人たちに舌打ちし、宗方は相手を気絶させようと目の前にいる男の顔に手を伸ばした。
 その瞬間、男は喉を引きつらせて畏怖と絶望の入り交じった眼になった。
「・・・」
 宗方は、思わず伸ばした手の力を抜いた。
 その途端、後ろから振り下ろされた杖の打撃を頭上に喰らい、宗方は倒れた。頭から熱いものが流れるのを感じ、一瞬記憶がフラッシュバックしてすぐに視界が真っ暗になった。
 頭から血を流して倒れた宗方の周りを怖々と村人が取り囲む。その少し遠くから、倉木が姿を現した。安心できない村人は、もう二、三度宗方を手に持つ道具の柄や先で殴りつけて倉木の指示を仰いだ。
「倉木さん、どうするよ」
 倉木は黙ったまま足下で気を失っている宗方を観察し、呟いた。
「・・・・・そうですね、運びましょうか。もう一匹残っていますしね」
 殺すのは二匹とも手中に捕らえてからにしましょう、と。倉木は口の端を上げて言い、頼正たちが逃げた方の壁を見た。
 村人たちが宗方の手を縛り運ぶ姿に背を向けて、倉木は楽しそうに呟いた。
「・・・・・・・もうすぐだよ、カオリ・・・」
 一陣吹いた風が落とした葉の数枚が、はらはらと倉木の足下に落ちた。